2012年4月3日火曜日

音楽日誌2011年5月(日々の振り返りと後悔)【♪ KechiKechi Classics ♪】



●2011年5月某日の振り返りと後悔


すっかり体調は快復し、終日諸作業に追われ、若い者の印刷屋出稿(一週間遅れ)やり直しをラスト迄(手取り足取り指導)付き合ってド・残業。更におとなりチームの責任者と酒、そちら3年、こちら4年目、もうエエでしょ、元気の良い行動力ある上司(10歳下)+(なんでもできる)ヴェテラン番頭二人、盤石の体制だが、若い者が息詰まるだろうし、次がいつまでも育たない。サラリーマンは自分のお仕事は選べぬ、というのが基本だが、意志とアピールは必要だとの話題でした。ワタシは閑職でなければどこでもよろしいんです。帰宅は11時半頃、ちゃんと駅から歩きましたよ、16分ほどだが。

通勤音楽は、MAHLER 交響曲「大地の歌」〜ピエール・ブーレーズ/ウィーン・フィル/ウルマーナ(ms)/シャーデ(t)(1999年)・・・この録音前後、FMライヴを拝聴して愕然とした記憶有。ずいぶん旧い記事だが、言い回しは慎重であって、10年を経て正規録音確認したということですよ。既にエア・チェックMD処分済み、ライヴがどんな演奏だったが確認しようもないが、この間のパターンと変わりはない。音量は大きくないのに、細部迄見通しがよろしい、ほとんど浪漫の残滓を一掃して素っ気ないほど無駄を削ぎ落とし、ムリのない表現+緻密クールなアンサンブル。結論的にブーレーズが指揮するとオケの個性が素直に、というか鮮明に表出するということですよ。歌い手は若々しく、かつての巨匠時代の個性とは違った鮮度がありました。(但し、ヴィオレ� �タ・ウルマーナの独逸語ってなんかヘン?もちろん門外漢ド・シロウトの直感だが)

新時代の、美しいMAHLERといった手応え充分。響きは濁らず、洗練されておりました。

呑んだ次の日はたいていお仕事快調。ボンヤリしたほうが雑念が入らないからか、それとも明日の余裕を見越して呑みにいっているのか?先週出張時にいただいた宿題に悩んでいたが、本日一気に形が出来、資料完成、内部にも取引先にも送付できました。もちろん上司にも報告済。毎日の諸作業様々こなした(つもり)だが、夕方にはほとんど忘れました。そんな日常也。明日より次月の作業サイクル開始。(それに所詮机仕事、トラブル処理もないし、ずっと職場ネット環境を利用して音源データ・ダウンロードしておりました)早々に帰宅。ゆっくりしております。

本日の通勤音楽は思わぬ収穫有。SAINT-SAE"NS 交響曲第3番ハ短調(1976年)/ピアノ協奏曲第4番ハ短調(ロベール・カサドゥシュ(p)1961年)/序奏とロンド・カプリチオーソ(ジノ・フランチェスカッティ(v)1964年)〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック・・・数ヶ月前に一度(交響曲のみ)聴いていて、全然あかん、違和感ばかり、といった感想だったんだが、久々の拝聴に印象一変。かなり粘着質、重く、深い演奏であって、1960年前後の粗っぽい推進力を想像すると少々様子が違っております。既にブーレーズ時代、アンサンブルの仕上げはかなりていねい、オケは快調、各パート(管楽器)も上手いもの。オルガンは別録りかな?よく分離して聞こえます。華やかな仏蘭西系演奏を期待すると、かなり方向性は違っておりました。かなり重厚な、ある意味古� ��的な作風を強調したもの。

ラスト大爆発も悪くないじゃないか!・・・すると、ほの暗い落ち着いた旋律が〜やがてしっとりとピアノが参入いたしました。なんせ、通勤前、えいやっ、とCDプレーヤーに仕込んでいくので詳細内容は覚えていないんです。何番だっけ?と帰り考えながらたっぷり愉しんでおりました。瑞々しいタッチ、美しい音色だ。最終盤に至ってミッキーマウスのテーマ(風旋律)が楽しげ、ユーモラスに歌われます。帰宅して演奏者、そして第4番ハ短調であることを確認したが、こんな名曲だったんですね。第2番ト短調もルービンシュタイン/ミトロプーロス(1952年)にて初めて作品に目覚めたものです。フランチェスカッティの明るいヴィヴラートはお馴染みでした。

油断していると、あっという間に5月終了・・・のような、GWが遠い昔のような・・・不思議な感覚。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


台風通過。東日本はこれからだろうし、西日本も地盤が緩くなっているんじゃないか。じつは昨日、ちょっぴり右腰上部に痛みが〜今朝、4時頃かなりの痛みに目覚め(おそらく)尿路結石の発作と診立てました。9年ぶり。かつての七転八倒、座薬入れても飯も喰えぬほどの激痛症状に非ず、石は小さいなと類推、一時間半ほどで治まりました。きっと然るべき位置にまで動いたのでしょう。命に別状なしとは言え、この痛みは並のもんじゃない、それが怖くて座薬を冷蔵庫と出張カバンに常備しておりました。でもね、さすがに10年経過、先月捨てたところだったんです。まいりました。即軽快してよかった。生き返ったみたい。月曜は休みにくいんです。この症状は通院してもなすべきことは決まっているし。但し、前回はじつは胆石で あった〜手術に至ったが、あれとは症状が全然違う。

BACH カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」/第147番「心と口と行いと生活で」〜ジョン・エリオット・ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(1990年)・・・全集完成ならなかったARCHIV録音。先週、別な作品にて、油脂分抜けすぎと聴いたが、レーベル変わっても印象変わらず。もしかして我が貧者のオーディオ(人民中国製極小サイズ・ディジタル・アンプ)との相性問題か。お気に入り作品だったのに、なんかぴん!と来ないんだな。体調問題か、リューシンク盤に戻らなくては。

では、雨の中、行ってきます。昼からは上がるらしい。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


いつまでも洗濯物が乾かぬ湿っぽい日が続きます。梅雨に入ったそうな。台風も接近していて、うすら寒い天候に精神(こころ)も体調もどんよりしております。兄のところの孫の写真が両親より転送され、まだ小さく、弱々しいが、希望の命を見ていると元気出ます。可愛らしい女の子。息子にも転送しておきました。

MAHLER 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ジョナサン・ノット/バンベルク交響楽団(2003年)・・・カイルベルト時代の記憶を辿れば、洗練とアンサンブルの精緻に時代の変遷を感じます。技術的な向上と引き替えに、独逸ローカル融通の利かぬ頑固サウンドも消えてしまったような?ノスタルジーか。中庸、クリアであり、コントロールに優れ・・・結果的に日常化してしまった"上手い"MAHLER。この作品に対峙することが大事(おおごと)であった時代は過ぎ去りました。優秀録音に間違いないんだが、それが?といった感じ。熱血バーンスタインやら(全然別な意味で完成度の高い/正規盤全集入手済)ショルティとか、遙か別の時代の産物に思えるほど。(再聴必要)テイスト方向としては、要らぬ力みが抜けたブーレーズを連想させます。

MAHLER 交響曲第9番ニ長調〜アラン・ギルバート/ロイヤル・ストックホルム・フィル(2008年)・・・いまやニューヨーク・フィルのシェフである半分日本人(母親はバイオリニスト建部洋子さん/五嶋姉弟の先生)は40歳代気力体力充実している世代。これは知情意バランスとの取れた、スケール大きい演奏と聴きました。この作品に必須の人生の諦念、苦味がちゃんと行間から溢れ出、たんなる"上手い"MAHLERに非ず。テンポは体感やや遅め、ストックホルム・フィルの充実した芯をしっかり感じさせるサウンドもお見事、前時代的身をよじるような難行苦行系ではないけれど、さっぱりこだわりのない演奏でもない。色気はちゃんとありますよ。

ニューヨーク・フィルならこの作品をちゃんと振れないと話しにならん、ということか。

もの凄い雨、風だし、本人は体調不良ということもあるけれど、いつもの引き籠もり休日也。自主CD一杯作っていたのと+HD容量を空けるためダウンロードした音源をDVDにせっせと焼いておりました。なんて暗い、内向きの趣味なんだ・・・

SCHUMANN ピアノ協奏曲イ短調〜スヴァトスラフ・リヒテル(p)/ジョルジュ・ジョルジェスク/ソヴィエト国立交響楽団(1958年ライヴ)・・・リヒテルには数種の録音が存在して、当然音質状態のよろしいもの、バックが整ったものを優先して聴くのがよろしいでしょう(マタチッチとの1974年録音など)。これも好事家の世界也。期待しないで聴き始めたが、これが意外とよろしい。かなり良心的なモノラル録音、ルーマニア往年の巨匠ジョルジュ・ジョルジェスク(1887〜1964)が客演した時の記録は、燃えるような情熱+テクニックのキレ味充分。聴き応えありますよ。オケはオーボエの音色などかなり違和感があって、ドロ臭い感じ。時にこんな出会いがあるから油断できん。

なんかだらだらした(いつもの)休日でした。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


精神が緩み切っているのか?体調どんより状態継続。台風来ているそうですね。例えば、処理作業中の福島原発に暴風雨直撃したらどうなるのだろうか。あれは10年のスパンのケリになるのだろうな、きっと。これからの政策、節電問題さておき、たった今現地にて劣悪環境で働いている労働者の労苦は計り知れません。毎日、やりきれんだろうな。ご近所に酒場もないし。

BOCCHERINI チェロ協奏曲第2番ニ長調/VIVALDI チェロ協奏曲ハ長調 RV398/ト長調 RV413/TARTINI チェロ協奏曲イ長調〜ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(vc)/パウル・ザッヒャー/チューリヒ・コレギウム・ムジクム(1977年)・・・パウル・ザッヒャー(またはザッハー1906-1999年)はスイスの指揮者であり作曲家、彼のために多くの著名な作曲家が曲を捧げておりました。例えばSTRAVINSKYの「バーゼル協奏曲」、R.STRAUSSの「メタモルフォーゼン」、BARTOKの「弦、打楽器、チェレスタのための音楽」「弦楽のためのディヴェルティメント」、他びっくりするくらいの物量有。このバロック音楽は、いつものようにヴィヴィッド、かつなまなましい官能チェロ+充実したバックに支えられて、スケールの大きな演奏であります。つまり、ロストロポーヴィチの雄弁は作品が変わっても、いつも通りということです。これでエエのか。

問題は「BOCCHERINI チェロ協奏曲第2番ニ長調」でして、このCD情報あちこちネットで検索しても全部そうなっている・・・BOCCHERINIのチェロ協奏曲集は代表作だけど、第2番はイ長調(G.475)でっせ。もちろん別の作品。番号付けは通称だからいろいろあるのか、実際に収録されるのは第6番ニ長調G.479也。DGが最初に出した時のミスがそのままずっと残って再発されているのかも、と類推いたします。(BBSにて情報有。作曲者作の目録、出版時、およピコー(サンフォア補筆)の旧目録では第2番となっていた、とのこと)

蛇足ながら、フィル・アップはSCHUMANNのチェロ協奏曲イ短調(1960年)。他でダブっているから聴いていないが、あまり配慮ある組み合わせとは思えぬ・・・。 Glenn Gould in Concert (1951-1960)CD6枚組より、SCHO"HNBERG 3つのピアノ小品 作品11(1952年10月4日、トロント)/「架空庭園の書」作品15(ケルスティン・マイヤー(ms)1960年8月2日、ヴァンクーヴァー)/ピアノ組曲 作品25(1952年10月4日、トロント)/WEBERN 変奏曲集 作品27(1957年5月19日、レニングラード)/KRENEK ピアノ・ソナタ第3番 Op.92-4(1957年5月19日、レニングラード)〜グレン・グールド(p)・・・こんな難解かつ素っ気ない作品が粛々と胸に染みるのは、体調精神状況どこかおかしいのか。しかも、余り状態よろしからぬライヴ(放送録音?)時にテープの劣化によると類推される音の揺れもあります。ま、若いころから何度も挫折したから、やがて身に付いた、音楽の本質に接近できた、ということでしょうか。とつとつとして無機的、乾いた音列を拝聴していると妙な不安が迫ります。おそらくはグールドの表現が明晰なのでしょう。70分を超える収録も厭きさせません。ある時は壮絶な技巧(SCHO"HNBERG ピアノ組曲 作品25)、親密繊細なる集中力(WEBERN 変奏曲集 作品27)。

こんな音楽が"楽しい"とは!


●2011年5月某日の振り返りと後悔


一連の行事会議一段落して精神的に緊張感が途切れたのか、昨夜より体調悪化。当日欠勤はよほどじゃないとしない(いったん這ってでも出て行く)主義なので、とにかく通常出勤いたしましょう。お仕事段取り付けて昼から帰るか、明日の福井方面行事対応も微妙。

RAVEL 左手のためのピアノ協奏曲ニ長調/ピアノ協奏曲ト長調〜モニク・アース(p)/ポール・パレー/フランス国立放送管弦楽団・・・久々の拝聴。1966年録音というのは裏を取っていないみたいで(p)1966表示を鵜呑みにしたみたい。そこにも記述はあるが、音質かなり良好でしてピアノ、オケともRAVELに必須であるリズム感の冴え+緻密な集中力と粋がバランスして、極上であります。複雑、荒唐無稽、素敵な作品ですよね。「左手」はコントラバス+コントラファゴットに超低音による怪しげな開始〜華やかなピアノ・ソロが延々と続くが、最終場面でちょっぴり、おもちゃの楽隊みたいな響きが挟まるでしょ?あそこ大好き。そこを心待ちにしております。ト長調は「のだめカンタービレ」(ようやく先日テレビにて拝見)に登場していたが、いか にも彼女向け、自由奔放楽しげな作品と(以前から)考えておりました。

バロック時代から延々と続く名曲鍵盤協奏曲の行き着いた先、極致、みたいな感慨有。20世紀には魅惑の作品が多く出て、BEEやん、BRAHMSはどーも棚から取り出す気がなかなか起きない〜といったいつもの愚痴が出てしまいました。では、行ってきます。

仕事場に出るとそれなりシャキっとするものです。かなりお仕事進捗して、当面、本日迄に完了すべき宿題は終了し、若い者の印刷屋へ出すべき資料原稿を指導(説教)しておりました。四則計算(含む電脳)はかなりの力量なんだが、商品商売の本質というか、人様にアピールすべきポイント、言葉の選び方、そして出来上がりの美観に弱点がある・・・のは、経験不足なので当たり前。でも、センスというか、キラリと光るものってあるでしょうが。明らかに美的感覚の訓練が足らん。受験勉強ばかりしていたのか。服装も少々ダサいんです。若いのに。

明日の北陸方面の行事対応は、お相手担当に連絡して許していただきました。これでゆっくり週末休み。

通勤音楽は、GRIEG ピアノ協奏曲イ短調〜クラウディオ・アラウ(p)/アルチェオ・ガリエラ/フィルハーモニア管弦楽団(1957年)・・・再聴。モノラルだが音質かなり良好。遅めのテンポ、重厚で重心が低い。磐石の貫禄とはこのことか。細部まで太字の楷書。一切の曖昧さなし。指が流麗に回ることが=素晴らしい技巧ではない。

似たような時期、似たような作品、こちら仏EMI録音だが、TCHAIKOVSKY ピアノ協奏曲第1番 変ロ長調〜アルド・チッコリーニ(p)/コンスタンティン・シルヴェストリ/フランス国立放送交響楽団(1957年)・・・1951年クリュイタンスとの録音は知っていたが、こんなのもあったんですね。音質は期待(アラウ盤)ほどではない。リヒテルの剛直重厚なる演奏を聴き慣れていると、響きの明るさ、燃えるような情熱、オケの色気あるサウンドはなかなかの魅力であります。チッコリーニのピアノは柔らかく、神経質な感じではない、繊細なサウンドが魅力です。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


ちょいと寝坊してしまい、別に少々遅れて出勤しても定時より前に職場に到着するんだが、気分的に落ち着かん〜ので、今朝の「音楽日誌」は休止。さて、お仕事整理の一日、無事クリアできるでしょうか。

朝は結局、いつもより10分遅れにて出勤。辣腕パートさんが一番乗りでした。やはりここ数日の疲れが残っていて、毎日の定例作業、昨日一昨日の報告書、の前に諸作業準備内部ミーティング(先にしておかないと、次の動きが皆できないので)、先行きのスケジュール調整、あっという間に夕方になってしまって、本日狙いの進捗80%か。明日の行事は無事ご遠慮に成功したので、一日余裕ができたんです。明後日、土曜をつぶして福井に迄出掛けます。一ヶ月先の予定が詰まってしまって、3連続出張〜ツラいなぁ、途中戻っての作業も。資料持ち込んでホテルでやるか?幸いか不幸か?震災以降、出先でメール対応可能になったし。今回の出張もずいぶんと助かりました。

早々に職場を辞去し、左膝+両肘のリハビリ、担当によっては背中、肩までちゃんと施術して下さるから助かります。まだ風邪治っていないのか。


有名な女性がいます

この間の音楽の件、少々追加。PAGANINI 24のカプリース 作品1〜ルッジェーロ・リッチ(v)(1959年)・・・最高。この作品って、例えばハイフェッツとかオイストラフとか、グリュミオー、シェリング、往年の巨匠っぽい人はちゃんとした全曲録音ないですよね。そこより若い世代はこだわりなく弾いているみたいだが。キワものとか、そんなイメージなんだろうか。リッチはなんども録音していて、いかにもアクロバティック、非・芸術的、とことんクサく弾いていて、技巧の冴え!というより、ばりばり弾いてまっせぇ、上手いもんでしょ、的少々ドロ臭い雰囲気満載なんです。往年の英DECCA録音は極上、文句なく上手い、そして上品にまとめない。 BACH カンタータ第153番「見たまえ、御神、いかにわが敵ども」/第58番「神よ、心の痛手いと多く」〜ジョン・エリオット・ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ/モンテヴェルディ合唱団/ルース・ホルトン(s)/サリー・ブルース=ペイン(a)/ジャームス・ギルクリスト(t)/ペーター・ハーヴィ(b)(2000年ライヴ)・・・ペーター・ヤン・リューシンク全集(BRILLIANT)の評判よろしくないが、ワタシの愛聴盤であります。こちら世評高い現代の標準=J.E.ガーディナー。体調悪く、ちょろ聴きだからなんの判断も許されぬが、もの凄くさっぱりとして、ちょっと油脂分抜け過ぎじゃないのか。彼(か)の感動は何処?仕切り直しましょう。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


帰ってきました、無事、金沢より。体調快復。お仕事70点ほど?直接自分の担当の部分は60点、会議や商談対応、ほかの担当のお手伝いは90点か。また、新しい宿題を抱え込んできました。今月課題完了して、精神的にはラクな時期なんだが、ここで手を抜くと後がキツいんです。今週末には福井行事対応有。う〜む、サボって休み(風邪も癒えたし)というワケにもいかず。

出張音楽への言及少々。SHOSTAKOVICH ピアノ協奏曲第1番ハ短調(アンドレ・プレヴィン(p)/ウィリアム・バッキアーノ(tp)1962年)/第2番ヘ長調(レナード・バーンスタイン(p)/ニューヨーク・フィルハーモニック(1958年)・・・LP時代より馴染みの演奏也。これが凄い。なんといっても若きプレヴィンの強烈なテンションとテクニックのキレ味、溌剌とした熱気!大爆発。なんと明るい、息もつかせぬ目くるめく多彩な世界。音質極上。バーンスタインの弾き振りである第2番は、第1番より都会的でリリカルなテイストだし、演奏もちょっとクールな味わいで好対照。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


どんより雨模様だが、天候は回復するらしい。体調のほうもなんとか保ってくれぬか、本日明日は朝から夜中迄(珍しく)働き放しです。最近には珍しく金沢宿泊、パソコンは持参いたしません(荷物になるので)。音楽はなにを持参しようかな?帰りはチームメンバーの運搬車で帰還だから、半分のみ選定すればよいのか。

CDを注文することは(自主CD盛んになって以来)滅多になくなったが、なかなかオモロそうなものは出ておりますね。ロリン・マゼール30枚組彼の演奏はあまり好きではないが、まとまったものには興味有。この間、自主CD化していたヴィヴィアナ・ソフロニツキのMOZART(入手困難であった)全集も再発されました。こんな素敵な人だったんだな。初めて容姿を拝見いたしました。

MOZART ピアノ協奏曲第18番 変ロ長調K.456/第27番変ロ長調K.595〜ヴィヴィアナ・ソフロニツキ(fp)/タデウシュ・カロラク/ムジケ・アンティケ・コレギウム・ヴァルソヴィエンセ(2005/6年)・・・穏健派古楽器演奏というか、基本雄弁ではない素朴かつ古雅なフォルテピアノながら、しっとりゆったりと優雅に歌って、急いでヒステリックな感じ皆無。変ロ長調協奏曲K.456第2楽章「アンダンテ」は余情たっぷり、刻々と変遷する表情、愛しのヴォルフガング作品中でも屈指の名曲をこれほど堪能させて下さる演奏はざらにあるもんじゃない。「フィガロ」の「なくしてしまった」(バルバリーナのカヴァティーナ )に似たもの哀しい旋律ですよね。13分に迫る延々とした緩徐楽章のあと、破顔一笑・終楽章の軽快なリズムを堪能いたしました。

ムジケ・アンティケ・コレギウム・ヴァルソヴィエンセの意外と豊かな響きも聴きもの。変ロ長調協奏曲K.595は通勤にてゆっくり聴いていきましょう。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


昨日来断続的な雨模様。休日だったら出掛けなければ良いんだが、本日より一週間の始まり、体調どんよりしつつ出掛けなくっちゃ。本日資料関係の完成(たった今一本宿題を思い出して職場にメールしたところ)、明日朝一番より金沢へ、エラいさんとの定例会議、夕方よりちょっとしたイヴェント(この準備がたいへんでした)、夜お付き合い(体力保つか?)、明後日は商談、会議、そしてイヴェントの後半続き。ほんまだったら、当初福岡博多〜大分にて現場若手研修同行講師として楽しく過ごす予定だっただが、スケジュール調整如何ともしがたく、このような事態に・・・資料関係はそれなりに先週中に仕上げてあって、おそらくは大丈夫。 GRIEG ピアノ協奏曲イ短調 作品16〜クラウディオ・アラウ(p)/アルチェオ・ガリエラ/フィルハーモニア管弦楽団(1957年)・・・ステレオ録音本格化が早かったEMIにしては不思議なモノラル、それでも音質的な不満はほとんど感じません。昨日のTCHAIKOVSKYと印象同じ、盤石の安定と重心の低さ、細部描き込んで流れや勢いで弾かない。キライじゃないが、聴く機会の少ない作品であり、以前ルービンシュタインの演奏にいまいち不満?(コメント見るとそうでもない)を持って以来の拝聴かも。テンポは遅めで重厚、ガリエラは相変わらず上手い。

KORNGOLD ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品33(アルフレッド・ウォーレンシュタイン/ロサンゼルス・フィル1953年)/ROZ'SA ヴァイオリン協奏曲(ウォルター・ヘンドル/ダラス交響楽団1956年)〜ヤッシャ・ハイフェッツ(v)・・・とろり甘美な旋律満載のKARNGOLDにはけっこう録音が多く、例の如し快速テンポで前のめり、気持ちよく進んでいく演奏であります。問題はROZ'SA(ミクローシュ・ロージャ)でして、映画「ベン・ハー」など担当している映画音楽の大家。この作品はたしかハイフェッツのために作曲されたもので、テイストは大衆的なBARTOKといったところか。痛快であり、テクニック映えのする素晴らしい作品!演奏!なのに、どーして他の録音はないの?版権の関係でしょうか。ハイフェッツのノリは文句なしの色気に溢れたもの。

さて、足取り重く出掛けましょう。

朝一番の諸作業、連続するミーティング中ずっと体調悪く、夕方(頭痛仲間である)辣腕パートさんに「ヤクある?」と所望してバファリン服用。ようやく快復して、一気大きな残務消化。本日の通常業務締切、明日の準備もほぼ終えました。明日、朝一番で職場に出て、印刷して出かけましょう。ヤクでもマムシ精力ドリンクでも、なんでも使って二日間保たせなくては。 通勤音楽はSHOSTAKOVICH 交響曲第11番ト短調「1905年」〜ベルナルト・ハイティンク/コンセルトヘボウ管弦楽団(1983年)・・・先月に続いて二度目の拝聴。ストコフスキー(1958年)、キタエンコ(2004年)、ヤンソンス(1996年)と聴いてきて、ようやく作品が掌中に入ってきた感じ。第1楽章 Adagio 「宮殿前広場」の静謐な世界が、どれだけクリアに見通せるかがポイント。ここの録音がいまいちだったり、オケの技量が低かったりすると混沌として行方不明な音楽になっちまう。

低音が蠢いて開始する第2楽章 Allegro 「1月9日」〜やがて機関銃が炸裂してオケのモウレツな威力爆発。(打楽器連打が滅茶苦茶カッコ良い!)第3楽章 Adagio 「永遠の記憶」に静謐が戻り、 終楽章 Allegro non troppo 「警鐘」にて圧巻のクライマックスがやってまいりました。政治的云々の時代は過ぎ去ったのでしょう。クリアな音質、余裕の深いサウンド、優秀な機能・・・それらが揃って初めて作品が理解できるのでしょう。革命歌の引用は、単なるなじみ馴染みっぽい旋律な感じ。

ハイティンクのシリーズではロンドン・フィルより、コンセルトヘボウのほうがいっそう効果的と思います。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


本日、ご近所ホールでMAHLERの交響曲第6番があるんだが・・・ご近所マチネお気に入り作品三拍子条件揃って挙げ句、どーも足が重い。昨夜はよく眠れたが、ずっと体調がすっきりしません。出勤すれば気持ちが引き締まるせいか?元気になるんです。引退後はどうなるんでしょう。

昨夜、自主CD目指して保存している音源データ貯まりすぎたので、DVDに保存しようとして2枚失敗。自分でも呆れるような単純操作ミス連続ワザ。それに数枚保存してるDVDデータの内容確認していたら、一枚分ちゃんと焼けていなかったものを発見・・・ちょっと落ち込んでおります。一�交響曲第9番ニ短調「合唱」〜ウィルヘルム・フルトヴェングラー/バイロイト音楽祭管弦楽団(1951年)・・・世の中に星の数ほど復刻されている音源中、ワタシの自主CDはおそらく最下層に位置する音質水準なのでしょう。あまりに世評絶賛ということもあって、若い頃からこの演奏には?状態・・・やがて幾星霜、深遠なスケールと劇的表現、揺れ動き、燃えるように疾走するテンポ、千変万化する表情、声楽陣の強力なこと〜どれをとっても一流と感 じます。それこそ魂を揺さぶる感動有。音質も悪くない、と感じるのは、おそらくもっと状態のよろしい音源+高級オーディオでは素晴らしい効果が望めるのでしょう。

現代の標準、基準ではあり得ないだろうが、得難い個性であることに間違いなし。昨日のコメントを少々反省しなくては。では、行ってきます。

きょうも(自分にしては)ようお仕事したな、宿題は一個残ったが、予定通り。予定外は咽が痛むこと〜風邪が中途半端に残ってしまって、これから先の業務に支障が出る恐れ有。これから毎日、粛々と予定をこなさないと余裕がありません。休めん。気持ちは元気なんだけどね、意気軒昂也。保つか?2週間。

通勤音楽は、MAHLER 交響曲第3番二短調〜サカリ・オラモ/シンフォニカ・デ・フィンランディア(Sinfonica de Finlandia)/ジーン・アーウィン(con)(2010年ライヴ)・・・オケがようわからん。Sinfonia Finlandia(ユヴァスキュラ交響楽団)だったら検索で出てくるのだが(違うよな、編成小さいし)・・・いずれフィンランドのオケでしょう、あまり期待しなかったんだが、これが滅法上手い。テンポは時に自然に走って弦の表情付けが多彩だし、管楽器も溌剌として、アンサンブルはヴィヴィッド。けっこう編成も大きな、厚みのある立派な演奏でした。

(後述;大ボケかましました。なんのことはない、フィンランド放送交響楽団/エリク・エリクソン室内合唱団でした)

こんな大曲ばかり聴いて、少々食傷気味かな?と思ったが、これは若々しく、素晴らしい演奏でした。堪能いたしました。そういえば、この一連のライヴ・シリーズ。第2番「復活」でも「Royal Court Orchestra」(王立宮廷管弦楽団)というのがようワカラんかったな。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


肩がばりばり〜って、風邪症状なのか。本日は演奏会なのでヤク服用して出掛けましょう。ご近所マチネ、しかもアマオケにしか行かないのは、もちろん経済的な問題もあるけれど、ありきたり演目問題もあるんです。2年前(出張ついでの)金沢にてMAHLER交響曲第3番(得難い)ライヴのチケット入手、その直後に甥の結婚式が決まって泣く泣くオークションで処分して以来、プロオケを諦めております。いずれ、生演奏はどんな高級オーディオでも叶わぬ優秀音質なので、音楽を聴く上での基準となるべきもの。高級魚の缶詰より、新鮮穫れたて鰯の刺身が旨いのは当たり前、そのことを前提にしてのCD聴取と自戒いたしましょう。

Glenn Gould in Concert (1951-1960)CD6枚組が発売され、ぼちぼち聴いております。但し、カミングアウトすると、ネットで音源フリー入手可能。自主CD化2枚ほど実行したところ。パブリック・ドメインだろうから許して下さいよ。クリップス/バッファロー・フィルとの「皇帝」(1960年)は既に聴いておりました。かなり既に知られている音源を含みます。音質もたいしたもんじゃないから、お勧めするにはやや躊躇。オリジナル・ジャケット・コレクションを処分しちゃうような罰当たり者だが、手許には6枚組あれば良いんじゃないか。好事家には激安10枚組もあります。

彼の十八番(おはこ)であるBACH ゴールドベルク変奏曲BWV.988は、ここしばらく1955年オリジナルCBS録音を幾度聴いて飽きません。変幻自在な表情の変化、ウエットな情感とは無縁のタテノリのリズム、淡々と音楽は進んでやがて聴き手を集中の渦に巻き込んでしまう・・・激安10枚組には前年1954年カナダCBC放送録音が収録されます。これが気持ちテンポやや遅め、慎重な足取りで妙に雰囲気が暗い感じ。基本、スタッカート明快奏法は一緒なんだが。

Glenn Gould in Concert (1951-1960)CD6枚組のキモは同作品1958年ヴァンクーヴァー・フェスティヴァル録音でしょう。著名なるスタジオ録音の後、落ち着いて清明な出足+後半、充分なノリと熱気演奏であります。おそらくは元テープ問題でときに音揺れが出る以外は、音質もそう悪くはない。ま、2種の正規録音があればそれでよろしいのだろうが、気軽に興味を以て他の音源も拝聴できる・・・というのがありがたい。他、1959年のザルツブルグ録音というのがあって、大昔FMエア・チェック・テープで聴いておりました。どんな演奏だったのか、記憶なし。

いずれ、マニアではないし、物欲も消えかかっているので、ムリして集めようとは思わぬ・・・大切なのは音楽を愉しむ、ということですから。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


数日掛かってようやく愛機AspreRevoのOS(7)自動更新終了したらしく、ちゃんと立ち上がりました。昨日は幸い、かなり狙いのお仕事進捗に至って、80%〜90%くらい?残りの課題も鮮明で月曜(自分で勝手に設定している)デッド・ライン守れそう。本日、無事お休みいただきました。変な話しだが、ここで休まぬと月次の締め直前に休み消化取得強制となって、お仕事が苦しくなるんです。今月は当初予測より大幅に営業数値落として、但し我が弱小チームは絶好調、お隣のメインチームがあかんのやね、上司が「反省会やるぞ!」といつもの職場患部3人でさっさと馴染みの激安酒場へ。更に若い者、若くない者計3人呼び寄せました。がっつり呑んだな。

昨日通勤音楽。SCHUMANN 交響曲第2番ハ長調〜ポール・パレー/デトロイト交響楽団(1955年ステレオ)・・・パブリック・ドメイン音源より自主CD化。明日の演奏会予習となります。個人的嗜好として、MAHLERBRUCKNER別格として、BEETHOVEN以降の交響曲はほとんどまともに愉しめんのです。SCHUMANNの交響曲も"処分できるものは全部"処分済、残ったのは大物ボックスに収納されたカラヤン、コンヴィチュニーのみ(ああ、ボウルトのが残っていたかも)。ポール・パレーの全集(MERCURYオリジナル)はオークションであっという間に売れました・・・閑話休題(それはさておき)

SCHUMANNの管弦楽は一般に、響きが混沌として濁ってしまう。パレーの手に掛かると速めのテンポ、颯爽と推進力ある風情+かなりさっぱりクリアな見通しよろしいサウンドに変化しております。ざっくりと緻密ではない〜ように聞こえるのは神経質ではないから、オケの技量は高く明晰な響きでわかりやすい。第2楽章「スケルツォ」の不安げ不安定な細かい音型はいかにも個性的。ヤワなオケでは難しいでしょうね。明日の実演が楽しみです。

これより、耳鼻科へ通院。


人は過去最高のIQ記録している?

女房殿が早朝決起して診察券を出して下さったので、早々に(大人気)耳鼻科は修了。整形外科で左膝+両腕のリハビリ受けるべきがメンドーでそのまま帰宅いたしました。そのまま、ぼんやりしてなにやってんだか?記憶なし。定例サイト更新毎週2本、残一本分無事上梓。これが時間喰ったか?テレビも見ていたな。ここ数ヶ月(もしかして年単位)で"自主CD"に凝っていて、湯水の如く音源ダウンロードして、結果聴いていなかったり、似たような曲ばかりになって(ずばり)飽きたり、期待ほどの感銘が得られなかったり・・・状況はいろいろです。2年ほど前だったか、オークションにてDVD4枚分歴史的音源.mp3たっぷり収納送料込1,000円也入手し、これが"歴史的音源CDほぼ処分"に至った端緒であったことを思い出しました。 音楽は嗜好品なので、人様の趣味嗜好を云々してはいけないことは前提。某独墺系往年の大巨匠某名曲壮絶なる名演の理想の復刻(微妙な音質の違い)を求めてCD30種(だっけ)!どんな出費も厭わず!みたいなサイトを拝見して「う〜む」とうなってしまいました。わかる気もするが、ビミョーにちゃうんじゃないの?的違和感ありますね。(ごめんなさい)潔く、「フルトヴェングラー・レガシー107枚」入手するのも悪くないかも知れません(買うつもりないが)。ま、こちらあまりに浅薄、幅広く音楽を聴くよう心しているつもりだが、超・狭い範囲で深掘りする世界もあるのですね。往年の名演奏は音質さえそう気にしなければ、ネットで拝聴可能だし、最近は可逆圧縮音源(.flac)にてかなりエエ感じの音源も入手可能になりまし� ��。ワタシにはDVD4枚分のたっぷり音源在庫もある・・・

その中から久々、自主CD化いたしました。MOZART クラリネット五重奏曲イ長調K.581(1950年5月)/クラリネット協奏曲イ長調K.622(1951年3月28-29日)〜レジナルド・ケル(cl)/ファイン・アーツ弦楽四重奏団/ジンブラー・シンフォニエッタ・・・これ、ちゃんとメジャーレーベルでCD化されております。当たりだったなぁ、レジナルド・ケルのヴィヴラートたっぷり、揺れ動くセクシー甘美なクラリネット最高。各々相方との相性もよろしく、MOZARTの愉悦たっぷり、心ゆくまで堪能できます。当然モノラルだが、かなり音質も良好〜.mp3(不可逆圧縮)→.wav変換しても。

ファイン・アーツ弦楽四重奏は最近NAXOSでディジタル録音をしている団体とは別、往年の(たしか)亜米利加の団体。ジンブラー・シンフォニエッタって、ずいぶん昔風冴えない団体名だが、ボストン交響楽団のメンバーに成り立っていて、モノラル時代にはけっこう録音があったんです。(ジェームズ・スタリアーノとのホルン協奏曲など)レジナルド・ケルの情報を求めてネット検索をしたが、イギリスの人、やがて亜米利加で活躍し、1981年迄存命でした・・・って、これ自分の更新記事じゃん。そういえば、数ヶ月前オークションで処分した記憶有。1937年のBRAHMSですね。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


今朝、パソコンがいつまでも起動しない(ここ数日自動更新?がうまくいかない。困ったもんだ)、【♪ KechiKechi Classics ♪】 定例更新一本のみ確認していて、数回前の更新の写真がないことに気付いて〜みたいなことをしているうちに出勤時間へ。お仕事愚痴ばかり言っても仕方がないので、きょうも一日頑張ります。いろいろ思わぬ飛び込み用件があるのだろうな、それもまた一興。決まり切った毎日よりスリルがあって良いではないか・・・


●2011年5月某日の振り返りと後悔


鬱陶しい雨模様継続。近畿エリアあちこちで大雨注意報みたいのが出ていたらしい。つい先日まで寒かったのに、昨日の不快な蒸し暑さは、来るべき本格的な夏(しかも節電必要)を不安にさせるに充分なもの。お仕事は来月曜デッド・ライン資料、実質作業量本日明日残2日(土曜はできれば出たくない)進捗20%、この20%がポイントであって、あとの80%の基本パターンを見つける全体概要なんです。本日で70%ほど行って下さると目処が立つんだが・・・なんせ、けっこう日常業務満載ですから、いつもの。しかし、未だ"お仕事追っている"、"追われて青息吐息"状態に非ず。大丈夫。

女房殿連日、姉の入院問題で大苦戦。ワタシは両腕の調子悪く、酷使する右より、使用頻度少ない左手薬指から出ている筋が痛いのは?いったい原因はなんなのか、病院に行かなくては。お仕事+帰宅後は趣味のパソコン駆使が原因か、でも、出張とか外出で数日パソコンに触らなくても状況は変わらないんです。

昨日通勤音楽は途中電池切れ、残念。HOLST 組曲「惑星」〜バーナード・ハーマン/ロンドン・フィル(1970年)・・・たしかLP時代Phase4録音で話題になったもの、この人はヒッチコックの音楽なんか担当していた人で、ちゃんとジュリアード音楽院で教育を受けていた由。ゆったり目のテンポ、落ち着いた味わい+スケール、オーケストラ・コントロールも堂に入っていて見事なものですよ。ストコフスキーよりあざとい左右分離を強調せぬが、基本マルチマイクで作った音質音場でしょう。一部最強音部分で劣化濁りが出ているが、かなり立派な音質です。但し、自然な広がり奥行きは感じられない・・・いずれ「木星」途中で切れてしまいました。

夜はぼんやりして再聴ならず。今朝はグレン・グールドのBACH 「インヴェンションとシンフォニア」を聴き流していたので、未だ聴了しておりません。洗濯物も乾かぬ湿っぽい天候の中、頑張って出掛けましょう。

急に気温が上がったり、湿度が高くて不快だったり、風邪が職場に〜辣腕パートさんがすっかり風邪声、昼過ぎには自分も体調不良となり、あちこち手足の痛みが増して参りました。月曜デッド・ラインの資料は50%進捗、宿題盛りだくさん内容付加、とてもだけど明日一日で終わりそうもない。しかし、この体調だと、土曜出勤はムリでしょう。来週再来週はもっとタイトなスケジュールとなります。明日、80%進捗、内部打ち合わせは月/火にまたがっていて、自分は火曜午前の順番なんです。月曜午前が使える・・・とか、火曜本番だって「残りの宿題はこれとこれ」といって逃げる手はないでもないが、その後に余裕あるワケじゃなし、悩みます。でも、ま、体調快復が第1ですから。

通勤音楽はヤッシャ・ハイフェッツのヴァイオリン名曲集。「ツィゴイネルワイゼン」から始まって、朝通勤電車にてハヴァネラ/序奏とロンド・カプリチオーソ/詩曲辺りまでは彼の変幻自在、目眩く驚異的技巧を堪能できました。体調悪化した帰り、BEETHOVENのロマンスは音質の悪さに耐えられない。期待の(壮絶なはずの)カルメン幻想曲も全然聴き手の琴線に触れない・・・体調悪い時の音楽拝聴要注意。

yurikamomeさん、ブログ更新停止とのこと。「納得のいくアップができなくなりました」とのこと。お仕事忙しいののだろうな、ワシみたいな通勤時間短く、スケジュール管理自由自在、屁みたいにストレスなし、ラクラク生活とは異なるのが大多数一般のサラリーマンなのでしょう。6年間、ご苦労様でした。いつか復活、再会の日を願いましょう。

 


●2011年5月某日の振り返りと後悔


雨が鬱陶しいですね。最低気温が20度だそうだから、不快な梅雨気分也。本日より3日間で本来こなすべき資料完成を目指します。二日間なんやかんやで着手できなかったので。金曜までに目処が立たなかったら、土曜出勤となります。土曜は(気分的に)集中力を失って、残務処理しかできぬ・・・例えば金曜に終わらせるべき定例業務を後回しにして土曜に持ち込む問いという手はあるけれど。ま、どんなトラブルが待っているか、出勤してみないとわからぬが。

FAURE ヴァイオリン・ソナタ第1番イ長調/FRANCK ヴァイオリン・ソナタ イ長調/SARASATE カルメン幻想曲〜チャン・ジョウ(v)(Zhou Qian)/Ning Du(p)・・・チャン・ジョウ(漢字わからず)は中国出身の若手?らしい。1987年ロン=ティボー国際コンクール第1位ですね。これはその少し後の録音?線が細い、というより、西欧的濃厚表現とはちょっとテイスト異なって、油脂分が抜けているような味わいでしょうか。FAUREの淡彩な旋律に似合って期待させるが、極限エッチな音楽であるFRANCKだったら、あまりに色気が足りない。カルメン幻想曲に至っては、テクニック的な不備はなくてもアクロバティックな野心がなさ過ぎ〜CDを探したが、廃盤のようですね。NAXOS辺りから出ている他の演奏はどんなもんでしょうか。

カルメン幻想曲と言えば、WAXMANNのが凄くて、ハイフェッツ、そしてその録音を耳コピーしたというレオニード・コーガンの演奏が仰け反るほど衝撃!その刷り込みもあるかも知れません。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


暖かいが、これより大雨とのこと。メンタルヘルスの関係もあって、職場では月次累積の連続残業が禁止されております。お仕事段取り合理化を旨とするワタシは基準を超えることは滅多にないが、流石に震災対応以降とうとう基準越え〜仕方がなく締め日(本日)迄、遅出、早帰り"実施を余儀なくされることに・・・なんせレギュラー職場早出一番ですから。フレックスタイムなので理屈では11時までに出勤すれば良いんだが、朝はお仕事効率よろしいんです。取引先との関係もあるし、生活のリズムもあるし。職場のパートさん派遣さんは皆知っているが、お仕事どーしょーもない人ほど出てくるのが遅い・・・

昨日通勤音楽は、DUKAS 「ラ・ペリ」〜「ファンファーレ」(1957年)/TURINA 「闘牛士の祈り」作品34(1958年)/LOEFFLER 「ベルギリウスによる異教徒詩」作品14(1957年以上彼の管弦楽団)/RAVEL 「道化師朝の歌」(フランス国立放送管弦楽団1958年)「スペイン奇想曲」(1957年ロンドン交響楽団)/SIBELIUS 交響詩「トゥネラの白鳥」/フィンランディア(1957年彼の管弦楽団)〜レオポルド・ストコフスキー・・・米キャピトル(+ユナイト)録音素晴らしき10枚組より。全部そうなんだが、選曲の妙とアクの強い演奏、意外と良好な音質で愉しめます。DEBUSSYでCD一枚編めたが、RAVELは揃わなかったのだな。結果的に聴く機会の少ない、しかも美しい旋律作品をたっぷり堪能できて、TURINA/LOEFFLER(レフラー)など、秘曲っぽい作品紹介となっております。音質演奏の質はオケが変わってもほとんど変化なし、どれも語り口が上手い。わかりやすい。但し、SIBELIUSは少々表情が濃すぎていただけない感じ。

ちなみにこの10枚組に、「美しく青きドナウ」が含まれないのは画竜点睛を欠くと思います。

昨夜、ピエール・ブーレーズのDEBUSSY旧録音を拝聴しておりました。かなり以前にCD一枚コメントしているが、そろそろ再聴再コメント必要でしょう。ニューヨーク・フィルとのRAVELはオケのデリカシー問題で聴くに堪えず先日処分済。(以前コメント以外では)管弦楽のための映像(クリーヴランド管弦楽団)/春/夜想曲/クラリネットと管弦楽のための狂詩曲〜ピエール・ブーレーズ/ニュー・フィルハーモニア管弦楽団/ジェルヴァーズ・ド・ペイエ(cl)(1966/68年)・・・結論的にこれ以上の洗練、細部明晰な演奏を聴いたことはない。アンセルメも好きですよ。LP時代以来彼の「海」には驚くべき程の先鋭な(ある意味)"違和感"を持ち続けたが、現在の耳ではそうは聞こえない。時代が彼に追いついたのか。正確であり、洗練され、そ� �て充分トンがっている!クリーヴランド管弦楽団との新録音(1991/3年)も悪くないが、角が取れ、脂っ気や色気その気が退化している(穏健になった)印象ないでもない。

明晰明快洗練正確な印象は以前と変わらぬが、ニュー・フィルハーモニア管弦楽団が上手い!ジェルヴァーズ・ド・ペイエがセクシー!なことに驚きました。知的刺激のみならず、極上に、ぞくぞくするほど美しい演奏と感じます。上記作品はほとんど(かつて聴いた)ヴェリ・ベストとの手応え有。

思わぬ飛び込み作業(んもうほとんど仕事に非ず/消化すべきメンドーなこと/トラブルに非ず)が二つばかり持ち上がって、その対応に追われました。狙いの本来業務は明日以降だな。こなすべき日常業務はちゃんとこなして、無事遅出早帰り実施。

女房殿は今夜も姉のところで遅くなるので、帰り途中十三でラーメンを喰いました。新規オープン半額ながら、麺(中途半端)もスープ(薄い旨くない)もいまいち〜それより、偶然座ったカウンター席が洗い場の真ん前。これが見ていてイライラする(雨模様でムシムシ不快だし)・・・汚れ物をドブ漬けして自動食器洗い機へ。これはトレイごと入れ替えるタイプなんだが、さすが業務用、洗浄強力で素早い。短時間で洗い終えて、出すでしょ?ワタシだったら即次のを入れちゃう〜洗っている間に然るべき場所に収納する。ところがこのお兄さんは、まず片付けるんです。それから次の洗い物を投入〜時間の無駄!嗚呼、段取り悪い!

お仕事でもそんな人、多いですよね。 通勤音楽。MAHLER 交響曲第2番ハ短調「復活」〜ギルバート・キャプラン/王立宮廷管弦楽団(Royal Court Orchestra/Miah Persson/Anna Larsson/2010年ライヴ)・・・ラスト迄。よく研究され、細部迄考え抜かれ、表現的には素直でオーソドックスな演奏です。スケールも大きい。オーケストラのコントロールにも優れていて、流石「復活」専門指揮者と感心いたしました。ところが、最終盤オケに疲れが見られる・・・時にピッチがよろしくなく、テンションは下がり気味(ミスタッチ云々の話ではない)。声楽陣は充実していると思いますよ。やはりオペラの団体なのか。ラストはちゃんと素晴らしい盛り上がり、感動の幕切れが待っておりました。音質はライヴそれなりの水準だが、声楽、オルガンもよく分離して聞こえます。

聴衆の熱狂はそうとうなものでした。偉大なる、究極のアマチュアに喝采を。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


年2回の健康診断なので朝食なし。その分朝、時間に余裕有。今週は出張予定もなし、一週間後締め切りの資料完成に傾注いたします。月末行事に向けての段取りも具体化しなくちゃ。いずれ大きなトラブルさえ発生しなければ、余裕の一週間〜であることを願いましょう。

病膏肓に至っている"自主CD"作りの件、MAHLER 交響曲第1番ニ長調〜サカリ・オラモ/ロイヤル・ストックホルム・フィル(2010年ライヴ)音源がネットで拾えます。セッション録音のあとですね。子供の頃より馴染み過ぎ作品故、鮮度を以て拝聴するのは難しい・・・ムリのないテンポ設定、過度の表情表現色付けをせず、のびのび爽快元気若々しい演奏であります。オケは精密緻密より、暖かい響きを旨として神経質に非ず。音質はまぁまぁ、ライヴらしい熱気に溢れて聴衆の拍手も熱狂的。現在46歳、もうじき20世紀1960年代ににデビューしたかつての若手は退場するでしょう。彼らが新時代の巨匠候補なのだな。

引き続き同じ音楽祭より、MAHLER 交響曲第2番ハ短調「復活」〜ギルバート・キャプラン/王立宮廷管弦楽団(ストックホルム王立歌劇場管弦楽団のこと?Royal Court Orchestra/Miah Persson/Anna Larsson/2010年ライヴ)・・・この「復活」専門指揮者はあちこち大活躍なんですね。既にロンドン交響楽団、ウィーン・フィル2種のCDを出していて、(未だ途中までの拝聴ながら)作品に対する盤石の理解、愛着、集中力に溢れた立派な演奏です。緊張感切迫感ではオラモの第1番を上回るかも。オケも相当快調。

但し、以前ウィーン・フィルで聴いた時にも感じたことだが、あまりに「復活」を研究し過ぎた?せいか、テンポやら細部の描き込み、いじりかたが頻繁で、時に流れが不自然に至る場面もないでもない。ここではライヴ故、セッション録音ほどにその感想は強く感じませんが。いずれ一番大切なフィナーレ壮大なるドラマはこれから聴かせていただきましょう。

では、行ってきます。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


一昨日の深酒が影響して、体調どんより+眠い。昨夜は早々に就寝いたしました。姉の入院先に行っていた女房殿は遅くにご帰宅。たいへんっす。【♪ KechiKechi Classics ♪】 週2本更新、と決めて十余年。屁みたいなド・シロウトのコメントに苦慮する要因は"何度も聴かなあかん"ということ。一発聴いてさらりと執筆、できるほどの集中力は既にありません。歴史的音源も時には悪くないんだが、それなりの音質じゃないと聴いていられんという現実。原稿は仕掛品をいっぱい作っておいて(ネタ帳)それを少しずつ、あとで仕上げるんだが、わずかの間に気分が変わってココロの鮮度が保てない・・・


トゥアレグターバン"を着用する方法

ピエール・ブーレーズのMAHLERを散々聴いた(更新済)ので、夜はテレビ+映画のビデオばかりで音楽拝聴せず。今朝、CHOPIN 「"お手をどうぞ"の主題による変奏曲」作品2/SCHUMANN 交響的練習曲 作品13/BRAHMS パガニーニの主題による変奏曲 作品35/HOFMANN 万華鏡 作品40/CHAINS 香港のラッシュ・アワー〜シューラ・チェルカスキー(p)(1987年)・・・チェルカスキー(1909-1995年)は亡くなる年迄現役で来日していたみたいだし、テクニックが切れて神経質〜とはずいぶん方向が違う、骨太でゆったり余裕の味わい。NIMBUSの録音には少々クセがあって、やや金属的薄っぺらい感じはあるんだが、まずは最晩年ディジタル収録を喜びましょう。

高齢によるテクニックの衰えもあり、そもそも洗練・美音から程遠いスタイル。お気に入りのコンサート・ピースでCDを構成するのも現在では珍しいのかも。流石に超難曲STRAVINSKY辺りだと苦しいが、重心が低く、どれも自信たっぷり、まったり深い味わいに溢れます。この一枚は"変奏曲"がポイントなんだろうが、表情変遷描き分けの上手さにけっこう感服いたします。「交響的練習曲」ラスト辺りはかなりヘロヘロだけれど、BRAHMSは作品的に彼の波長に似合っておりますね。深淵で落ち着いた味わい+適度な緊張感有。「万華鏡」の華やか、細かい音型表現は見事ですよ。「香港のラッシュ・アワー」もよく似たタイプのアンコール・ピースであります。

相変わらず引きこもり状態。良い天気です。ネットを眺めて音源を探したり、自主CDの在庫整理などしておりました。

カセット・エアチェック時代より、内容データはきちんとわかるように添付データはメモしてあるんです。ところがストコフスキーの歴史的録音BACH管弦楽編曲のCDR(かなり以前に作ったもの?記憶曖昧)にちゃんとしたクレジットを付け忘れておりました。

BACH  前奏曲 変ホ短調(1927年*)/カンタータ「キリストは死の縄目につき給えり」 BWV 4(1931年)/トッカータ、アダージョとフーガハ長調 BWV 564〜「アダージョ」(1933年)/ 「甘き死よ来たれ」 BWV 478(1933年)/ヴァイオリン・ソナタ第4番ハ短調 BWV 1017〜「シチリアーノ」(1933年)/イギリス組曲第3番ト長調 BWV 808〜「サラバンド」(1934年)/管弦楽組曲第3番二長調 BWV 1068〜「アリア」(1936年)/マタイ受難曲 BWV 244〜「おお、頭は血潮にまみれ」(1936年)/「わがイエスよ、いかばかりの魂の苦しみ 」 BWV 487(1936年)/無伴奏ヴァイオリン・パルティータ第1番ロ短調 BWV 1002〜「サラバンド」(1936年)/ヨハネ受難曲BWV 245〜 「こと成れり」(1940年)〜レオポルド・ストコフスキー/フィラデルフィア管弦楽団

ネットを探して、上記内容を特定いたしました。ステレオ時代に至って、LP4枚分ほどのBACH管弦楽録音が存在するけれど、この大昔録音(パブリック・ドメイン音源)もたっぷり、纏綿甘美に歌って浪漫の色濃い素敵な世界です。音質も悪くない。21世紀現代の耳でもちゃんと愉しめます。油脂分たっぷり、濃厚なクリームでも味わっているような感触。たまには悪くないでしょ。大BACHは稀代のメロディ・メーカーだから、このような味付けしたくなる誘惑が生まれるんでしょうね。しかも、どんなスタイルに脚色しても、骨格が崩れない。

ところが前奏曲 変ホ短調(1927年*)のみ、シュミーダー番号が付いておりません。前奏曲って、フツウ平均律クラヴィア曲集でしょうが。なんせ原曲からすっかり色彩肉付きが変わっているから、即断がむずかしいんです。ま、結論的に、平均律クラヴィア曲集第1巻第8番 変ホ短調BWV853でした。

確認用に取り出したのが、スヴァトスラフ・リヒテル(p)1973年インスブルック・ライヴ。かつて「幻の名盤」とされた3枚組も簡単に入手できる時代になりました。今年1月に入手していたが、RCAのザルツブルク/クレスハイム宮殿に於けるセッション録音より音質的に落ちるし、大騒ぎするほどのものかね、なんて、そんな感想にて一回聴いて棚中に眠らせたものです。

旋律確認に1曲のみ聴くはずが、これがもうやめられない。止まらない。硬質明晰なタッチ、恐るべき集中力。ストコフスキーのBACHもそうとう個性的異形だが、リヒテルの説得力も並大抵ではない。こちらのほうが乾いて残響少ないから、素っ気ない感じだし、ライヴ故の細部ミスタッチもあるけれど、流れというか、勢いはこちらのほうがあるかも。素晴らしい作品、演奏です。

休日だし、女房殿も病院通いで留守。以前から気になっていた書籍に言及いたしましょう。里見清一「偽善の医療」(新潮新書)・・・読了二度目。"里見清一"は小説「白い巨塔」の登場人物だし、プロフィールに生年月日がない、現職がないことをみても匿名執筆、時に医師らしからぬ激昂した筆致を見ると、数人の医療関係者の共著かも知れません。これを読むと"医療崩壊"の本質が見えるような思い有。どの章も納得できるが、衝撃なのは第2章「消えてなくなれセカンドオピニオン」、第4章「安楽死を人殺し扱いしないでくれ」(ここが一番凄い)、第6章「ホスピスケアはハッピーエンドか」。自分の医療判断責任放棄して、最初っから「セカンドオピニオン」を提示する無責任医師、専門知識や判断材料、能力がない患者側� ��ゲタを預けることがどれだけ残酷なことか。(告知/インフォームドコンセントも同様の趣旨/福島原発を思い出しますね。情報隠蔽も悪質だが、誰も理解できないだらだら情報垂れ流しもいかがなものか)

"末期"に至った時、「姑息延命治療しなくて良いですよね」的誓約書を家族に提示できますか。それにサインした人のプレッシャーやら心の傷をどう考えるのか。2006年富山県で発生した「安楽死事件」は、じつは患者家族側からはだれも訴えられていないし、感謝されているとさえ言われております。最初っから人工呼吸器を付けないで死んだらOKで、一度装着したものを外すと罪になる?「殺人」と「治療中止」は違うでしょうが。(幸いこの医師は患者に慕われ、治療復活されているらしい)ここには登場しないが、病気腎移植を思い出すなぁ、あれもマスコミが滅茶苦茶バッシングしたんだが、支持する患者側も多かった。

ホスピスの本は一時ずいぶんと読みました。山崎章郎さんが、日本にホスピスがなかった頃から頑張って下さっていたんですよね(現在は"在宅医"とのこと)。映画にもなりました。それから数十年、ちょっとあまりに融通の利かないホスピスがあるらしい。"積極的治療はしない"という原則だから、腸が塞がってしまって食事ができない、そこを手術で回避、QOLを(一時でも)回復することを否とするところがあるそうです。

民間医療薬に対する柔軟な対応は"医は仁術"そのものであって、「ああ、それはのんでもよいんじゃない、これはまたにしましょうね」と。つまり全否定してしまうと地下に潜っちゃう。一部屋全員、副作用で危うくなった経験があるそうです。つまり、部分的にでも医療効果がある"薬草"には副作用もあって、通常治療と合併しちゃうんだそうです。この先生は、害にならなければOKというスタンスらしい。

いずれ、多くの人々に読んでいただいて、幅広いご意見を伺いたいものです。南淵明宏「心臓外科医の挑戦状」(中公文庫)と並んで、最近読んだ医療書では出色の手応えでした。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


久々のお仕事は想定の範囲内で溜まっていて、ノーミソがなかなか順調に稼働して下さらない。予想通り上司より資料の仕立て直しを指示され、たいした量目ではないのに、午前中一杯掛かってしまいました。昼から来客があり(この資料説明と、後ほど酒席有)その対応を終え、宿題をそれなりに消化したら、もう精神的緊張感ぷっつり切れました。夕方、待ち合わせ場所であるマルビルに向かうが、なんと地下で迷ってしまう・・・ふだん阪急沿線通勤で梅田は通らないし、かつてJR経由で通勤していた時だって、べつに降りる用事ありませんから。浦島太郎状態。高級居酒屋〜スナック(一年一回行くのも珍しい/10年に2回ほど?)へ少々お付き合い〜挙げ句、お好み焼き屋へ。なんせ、取引先幹部接待(というか前回金沢でご馳走に� ��っている/20年くらいの付き合い)上司同行だから抜けられぬのがサラリーマンのツラいところ。体調あまり良好とはいえなかったが、見た目しっかり(内実ヘロヘロ)乗降駅のひとつ前で降りてタクシーで帰宅1,060円也。ちゃんと入浴して寝ましたよ。

通勤音楽(行きのみ)は、STRAVINSKY パストラール/組曲「兵士の物語」/クラリネットのための3つの小品/ピカソのために/おどけた歌(プリバウトキ)/猫の子守歌/ブルレスケ「きつね」/バリモントによる2つの詩/日本の3つの抒情詩/ロシア風スケルツォ(オリジナル・ジャズ・バンド版)/ヴォルガの舟歌(管楽器用編曲)〜ロバート・クラフト/セント・ルークス管弦楽団/フィルハーモニア管弦楽団/インストゥルメンタル・アンサンブル/ロルフ・シュルテ(v)/ジョン・フィーニー(cb)/フランク・モレリ(fg)/ウィリアム・ブラウント(cl)/クリス・ゲッカー(tp)/マイケル・パウエル(tb)ゴードン・ゴットリーブ(pac)/チャールズ・ナイディック(cl)/キャサリン・チーシンスキ(ms)/スーザン・ナルッキ(s)・・・実際には後半は時間切れで聴いておりません。かなり以前聴いていたものと内容ダ ブります。NAXOSがロバート・クラフトの音源を買い集めたのだね。

 技術的に(音質も)優れ、湿った情感皆無、そしてヴィヴィッドな躍動リズム+ユーモアに充ちて、どれもドキドキするほど楽しい!(とくに打楽器、そしてツィンバロン?)ワタシの嗜好はこちら方面ですから。ますますBEEやんが遠くなる・・・

午前中通院のハシゴ、どこも混んでいて、時間つぶれました。ま、暖かくなってようやくほんまの春、といった手応え有。【♪ KechiKechi Classics ♪】定例サイト更新、もう一本実施。ようやく一週間の宿題を終えた気分です。自分で勝手に決めた宿題だけど。ネット・ダウンロードはエラいことになっていて、amazonにまたCDRを注文いたしました。記録によると前回は1月末だから、3ヶ月以上保つんだな。100枚1,353円でっせ、わずか。そのくらいの贅沢許して下さいよ。音源は玉石混淆だが、これは実際にCDを注文しても同じでしょう。ちょっとした興味で自主CD作って、嗚呼、失敗こいたな、と嘆息することも多いんです。

そんな例示をひとつ。BEETHOVEN 交響曲第9番ニ短調「合唱」〜ピエール・ブーレーズ/ニューヨーク・フィルハーモニック/ウエストミンスター合唱団(1975年10月ライヴ)・・・ラジオ放送のエア・チェックでして、アナウンスも入っております。劣悪海賊盤と考えたら良心的(オン・マイク平板)モノラル録音。さっくりとして、やや速め(というか急いた印象有)のテンポ、オケのアンサンブルはかなり粗い。現在のブーレーズからは想像できぬほど、アツく、迫力+タメに充ちた演奏であります。しかし、ワタシはもとよりBEEやん苦手系、しかもあまり音質はよろしくない。そんな条件重なって、これは好事家のための音源であった、と反省いたしました。貴重ですけどね。

第3楽章〜第4楽章、テンポは落ち着いて、それなりにまとまった演奏になっております。ブーレーズ時代(1971-1977年)オケのアンサンブル回復に尽力した、とのことだが、デリカシーを欠く印象は音質故か?明るく、骨太なサウンドは馴染みながら。華やかだが、妙に落ち着かない。バリトンはサイモン・エステス、これは圧倒的雄弁な存在感有(でも、なんかヘン。妙な色気有)。一回聴いたらもうエエです。欲しい人に自主CDあげます。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


昨日は引き籠もり自主CD作成+音楽三昧+二時間ドラマ連続(含む撮り貯めたビデオ)という、いつもの"休日三昧"。夕方、母親と姉の病院をハシゴして戻ってきた女房殿と駅で待ち合わせ、ちょっぴり居酒屋へ。ここのところ体重減にてエエ感じやったのに、三日間でまた戻りました。昨日午前中より取引先より商品未着の連絡があって、既に休日モードからお仕事モードになりつつあります。本日昼より、取引先幹部来訪(親しい人だが)その用件(突貫工事的)資料は連休前に上司に提出済、但しすれ違いだったので、あれでよいのかどうかわかりません。朝一番、ぎりぎりで修正指示あるかも。夜は兼ねての約束通り酒席です。一ヶ月くらい前から「夜、空けておいてね」と指示有。うむ、こうしてみるとフツウのサラリーマン� �たいだな。実際そうなんだが。

昨日のMAHLER 交響曲第3番ニ短調の件、指示が曖昧で、しかもBBSにて書き間違い(というより、記憶がエエ加減であった)ダウンロード・リンク先、ふたつあるうち下の方であった由。(自分もそこでダウンロード済)上段リンクの方は、ズビン・メータ/バイエルン州立管弦楽団(2004年ライヴ)の音源らしいとのこと。真面目で熱心なる読者よりありがたいご指示ありました。(そちらも聴いてみましょう)誤って紛れ込んだんでしょうね。

今朝、なんとか定例サイト更新一本のみ実施。毎週青息吐息。お仕事みたい。

昨日もいろいろ音楽聴いていたんだが・・・R.STRAUSS 交響詩「ドン・キホーテ」/ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら〜ルドルフ・ケンペ/ベルリン・フィル/ポール・トルトゥリエ(vc)(1958年)・・・昔懐かしい、ドレスデン全集前旧録音、かつて廉価盤LPに収録された音源也。まだ、全部聴いていないんだが、ベルリン・フィルの圧倒的重心の低さ、色気のある厚みに圧倒されます。音質もかなり良好。なぜ、そんな言及したかというと、BEETHOVEN 交響曲第9番ニ短調〜ルドルフ・ケンペ/ミュンヘン・フィル/合唱団/ミュンヘン・モテット合唱団(1971-73年)を(これまた)途中まで聴いていて、そのあまりに素朴誠実な響き、ずばり鳴らないオケとの比較に驚いた故。だからダメ演奏ということでもないし、録音個性印象もあるでしょう。

このオケはチェリビダッケ以降の印象が強いし、ケンペのBRUCKNERもずいぶんと聴いていない。聴き手の感性もがらりと変わっているので、再聴再コメントが必要でしょう。

では、行ってきます。久々に。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


三連休ラスト。名残惜しく明日より出勤+【♪ KechiKechi Classics ♪】 定例更新日ではないか。な〜んも書いていない。昨日分「音楽日誌」には音楽への言及さえない。いえ、けっこうたっくさん聴いていたんですが、両腕の痺れが悪化していたり、コメントする意欲を失ったり、言い訳ばかり。

MUSSORGSKY 歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」(ROMSKY-KORSAKOV版/抜粋)〜ジョージ・ロンドン(b)/トマス・シッパーズ/コロムビア交響楽団/合唱団(1961年)・・・1920年生まれ、亜米利加出身不世出のバス、ロンドンの立派な押し出しと存在感、輝かしいオケの響き(オケの実態は不明だが、素晴らしい迫力)、例のアクの強い印象的な旋律が映えます。音質も抜群。ワタシ、あまり歌劇は日常聴く機会は少ないんだが、「ボリス」「ホヴァンシチーナ」辺りは大好きなんです。

フィルアップはMUSSORGSKY/RAVEL編組曲「展覧会の絵」〜ユージン・オーマンディ/フィラデルフィア管弦楽団(1966年)・・・あたりまえだが前曲と続けて違和感なし。RCAはSONYに吸収されたから1973年音源との関係はどうなるんでしょうか。こちら旧ステレオ録音のほうがいっそう好感を以て拝聴可能。キラキラ、のびのびとして鳴りのよろしいオケは爽快な爆発ぶり。

STRAVINSKY 「兵士の物語」(1972年)/八重奏曲/5つの楽器のためのパストラール/ラグタイム/六重奏曲/コンチェルティーノ(1974年)〜ボストン交響楽団室内アンサンブル/シルヴァースタイン(v)/ギターラ(tp)/ライト(cl)/ウォルト(fg)/ギブソン(tb)/ファース(pac)/サー・ジョン・ギールガッド/トム・コートネイ/ロン・ムーディ(語り)・・・この辺りが自分の嗜好のツボ。BEEやんどうの、というのも我が儘なる好き好きだが、こんな粋で自在なる小編成を聴いていると、厳格四角四面なる音楽は聴けなくなる・・・(BACHは別格)こうしてみるとボストン交響楽団には名人揃いであって、刈り込まれた編成だからそれはいっそう理解可能。だらだらとエピソードが続いていくような音楽は大好き。ナレーターの語り口(英語)が渋く、味わい深くて、ワタシは� ��サウンド"として聴いているだけ(意味理解不能)ながら、筋はなんとなく(リアルに)想像可能。

オリジナルは仏蘭西語でしたよね(フランソワ・ペリエ/フィリップ・クレイ/ガブリエル・カッタン)ネットで検索すると独逸語版(ゴベール/ストリーベック)も存在するらしい。


幾度同じ繰り返しだが、(ネットで拾った音源である←リンク先からじっくり探して下され)MAHLER 交響曲第3番ニ短調〜ピエール・ブーレーズ/シュターツカペレ・ベルリン(2009年5月8日カーネギーホール・ライヴ)・・・いかにも「ブート・レグ」(靴のかかとにマイクを仕込んで隠し録りをしたことに由来)らしい、オフマイク+ノイズにがっかりしたものだが、ウィーン・フィルとの正規録音(2001年)を拝聴するに至って、考えを少々変えました。正規/海賊ライヴともよう似ている(あたりまえだ)というのは表現解釈に止まらず、そもそも彼のMAHLERは音量が小さい(ように聞こえる)、メリハリ大爆発がない。しかし音質条件の整わない2009年ライヴであっても、細部迄様子がよくわかる、ということ。各パートは明晰繊細に洗練、分解され、曖昧さ、デフォルメがない。ほとんど飾りがない。最低限の色付けで最大限の作品神髄� �引き出すのかも・・・連休ならではの贅沢な時間を駆使して、幾度繰り返した結果であります。 昨夜、ネットを探って待望の音源を見つけました。(しつこく)MAHLER 交響曲第3番ニ短調〜ジャン・マルティノン/シカゴ交響楽団/女声合唱団/シカゴ少年合唱団/レジーナ・レズニック(ms)(1967年ライヴ)・・・.mp3音源が即、無条件にダウンロードできるのでぜひ聴いていただきたい。素晴らしい音質。以前、同じ組み合わせの第10番を聴いてあまり感心しなかった記憶があるけれど、こちら文句なし。例の如し強靱なる金管が輝かしく、オケの明快なメリハリ・サウンドが堪能可能(先のブーレーズとはずいぶんと違う)。しかし、後年ショルティのようなムリムリな強引さはなくて、快い流れ(というか、時にかなり走ってアツい。第1楽章終了で思わず聴衆拍手有)が堪能できます。(あとでご指摘あったが音質的には時代相応といったところ)

マルティノンのシカゴ時代は悲惨だったらしい(彼自身二度と思い出したくない、と)が、残された録音はどれも魅力的です。これはニューヨーク時代のバルビローリ録音にも感じたことであって、世評とか前任との対比とか、人間関係とか、いろいろ絡み合っていたのかも知れません。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


昨日は京都への外出をあきらめ、ご近所博多ラーメン屋(競合店ができておそらく苦戦中)にて昼食を摂っていたら、(姉の入院先に行っていた)女房殿よりメール有〜行けるようになった、と。時間を決めて出町柳にて待ち合わせ、タクシーの運転手さんにご近所でごめんね、とお詫びしつつ(学生時代だったら当然のご近所徒歩圏内)相国寺へ。待望の相国寺承天閣美術館の伊藤若冲でっせ。伊藤若冲といえば極色彩、緻密描写的な鶏の絵を連想しますね。

今回の展示会は修理成った壁画をメインに、墨絵中心の展示であって、これまた凄い。ほとんど一筆書きと思われる全体造型で鶏、鶴、鯉がざっくりと描かれ、デフォルメの効果も驚異的。お土産物のタオルを買ってきたが、そこに描かれる鶴には例の長い首はないんです。後ろ向きで隠れているといった趣向。衣の尻をからげて川を渡る布袋さんの図は、後ろ姿で尻は見えても頭が隠れている。得意の鶏、そして鯉の表情アップ真正面のくりっとした丸い目がユーモラス。ほか夢窓疎石の姿を描いた絵(痩せ形なで肩がリアル)+墨跡がみごと。足利義満の書状もあったが、彼の筆跡は頭でっかちであまり上手くないのがオモロい。

一年ぶりだったか?相国寺内部に今年は入らなかったが、庭、建築物は見事ですね。承天閣美術館への参道、庭園は涙が出るほど美しい。自然を活かした(こぢんまりとした)造園技術は世界一でしょう。京都なんて通勤圏内だからいつでも行けるんだが、なかなか行けないんですよね、かえって。時あたかもGWで観光客大量・市バスは乗車不可。歩いて市役所前広場迄〜「よさこい」をやっていて、2チームほど拝見〜本家・高知を2回、今や本家を上回る札幌でも見ている自分としては、"うん、がんばってね。若者よ"程度の出来と感じたものです。夕方、今は亡きゆらさんに教えていただいた(いっしょに呑んだこともある)「たこ入道」へ。観光客など絶対に入らぬコ汚い店だが、一般家庭のおばんざいがおいしく、安い。一年に一 回の訪問だな。

我らが日本を代表するメーカー・SONYで大量顧客データ流出とのこと。現代日本の繁栄を(賛否ありつつ)支えてきた"団塊の世代"引退して、技術大国・日本はどうなるのか。前にもちょっぴり言及したが、震災津波は天災だが、原発事故は人災です。日本のこの分野での評価は地に墜ちたでしょう。ものごとがあかんようになるのは、じょじょに、少しずつ、ではなく、積年溜めていた矛盾が一気に爆発することなんですね。資源のない日本は人材を育てるしかないはず。子供や教育を軽視して、ここ数十年のツケは一気に、ますます、想像も付かないところに行き着くかも・・・"お受験"やら"早期英語教育"(日本語をまともに使えないのにどーして英語か?/早期国語教育を強化していただきたい)じゃないでしょ。美しい日本� �、小さい子供を可愛がり、お年寄りを大切にする心、芸術に親しむ豊かな感性、大自然に調和する里山体験・・・やるべきことはいろいろある。

充実したGW、本日は映画「阪急電車」に行ってきました。毎日お世話になっている(路線はちょっと違うが)ご近所ネタ、ああいう狭い範囲でのココロの機微みたいなものを表現させたら日本映画の独壇場でしょう。起承転結のはっきりしない、様々なエピソードが少しずつ動いて暖かい方向へ〜といったシミジミとした作品。最高っす。中谷美紀はあまり好きな女優さんじゃなかったが、「Jin-仁-」に於ける花魁・野風役での日本語の美しさにすっかり心奪われました。彼女は少々美人過ぎるのだな。結婚式の帰り、非常識な白いドレスと阪急電車との違和感がよく出ておりました。スーパーで服を買い替えるんだが、なんでもよう似合います。

戸田恵梨香(フツウの女子大生役が似合っている)の暴力彼氏(カツヤ・小柳友)はいかにも、そこいらに居そうなどーしょーもない感じ。南果歩は気弱そうで地味な主婦、息子とダンナが優しくてエエ味出してます。漢字もロクに読めない、温かい人柄だけが取り柄のサラリーマン玉山鉄二、不器用な田舎者学生カップル勝家涼・谷村美月は生真面目で大好き。ちょいと最近出過ぎの芦田愛菜ちゃん、相変わらず上手いですよ。そして、南果歩の胃を痛める厚顔無恥主婦軍団の圧倒的パワー(あれが京阪神のおばはんパワーだ!誇張しているが)。

そして、宮本信子が全体を引き締めていて、犬好きなのに犬を飼わない理由、そして犬を飼うに至った理由が泣かせます。負けるな!イジメにあっている小学生。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


昨日はすぐに眠れたが、早朝覚醒はいつものこと。体調は改善傾向と思うんだが、あちこちカラダの節々が痛い感じ。リラックスしております。ほんまの、自分にとっての連休開始。

昨日通勤音楽帰り分。職場を出ると同時にスタートさせて、帰宅するまでに聴ける時間は約40分也。長時間収録ならCD一枚分で往復なんだが、いちおう予備は持参するんです。行きと帰りと気分が変わることも多いし。MAHLER 交響曲第8番 変ホ長調〜エリアフ・インバル/フランクフルト放送交響楽団/フェイ・ロビンソン(s)/テレサ・ケイヒル(s)/ヒルデガルト・ハイヒェレ(s)/リヴィア・ブダイ(a)/ジェーン・ヘンシェル(a)/ケネス・リージェル(t)/ヘルマン・プライ(br)/ハラルト・シュタム(b)/バイエルン放送合唱団/北ドイツ放送合唱団/シュトゥトガルト・ズュートフンク/西ドイツ放送合唱団/RIAS室内合唱団/リムブルク大聖堂児童合唱隊/ヘッセン放送児童合唱団/フリッツ・ヴァルター=リントクヴィスト(or)(1986年)・・・ 第1部のみ拝聴。

かなり重い宿題締切(なにもなくても月曜定例作業は少々キツい)、それに絶体絶命のトラブル(ま、土下座して信頼失うだけで命は取られないが)を辛くもクリアして、やや昂揚感がありました。チームメンバーを誘って呑みにいくべき状態なんだが、明日から海外旅行!(英語露西亜語堪能、なやつ)とか、逆に明日から連休だから泣きながら残業します(お仕事スピードが遅いんだよ)とかで、さっさと一人で帰りました。その道中には、この昂揚した作品が相応しい。

SHOSTAKOVICH同様、この類の近代オーケストレーション精華みたいな作品は、鮮明なる録音にて聴くに限る〜MAHLERの歴史的録音CDもほぼ処分済。ま、パブリック・ドメインで音源拾えるけれど。このインバルのシリーズは優秀録音として著名であって、油断すると阿鼻叫喚混沌混迷魑魅魍魎野次怒号の世界に至る可能性ある作品でしょ?細部各パートが明晰に存在を主張してクリアな響きであります(とくにイヤホンで聴くと)。コンポで聴くと印象は変わるのだろうが、豊かな会場残響、広大なる空間認識という点では不足なのか、それを捉えちゃうと逆に細部の明晰を失うのかも。集中力と緻密なアンサンブルであり、それは管弦楽のみならず、声楽陣にも同様の水準を求めて、充実しております。

華やかなる昂揚感とは方向性が異なるかも知れぬが、充分にアツく、スケール大きい緻密演奏であります。ちゃんと第2部迄聴かなくてごめんなさい。

京都に行こうと思ったら、女房殿が入院している姉ちゃんの洗濯物を持ち帰るから、不可とのこと。朝からダウンロードしまくったまま放置してあるデータ類を自主CD化したり、音楽聴いたり・・・休日の王道であります。どんより曇っているのは黄砂の影響か、昼からちょっと出掛けようかな?なにも欲しいものはないけれど。時間を贅沢に使う、というのが最高の贅沢也。 MAHLER 交響曲第3番 変ホ長調〜ピエール・ブーレーズ/ウィーン・フィル/ウィーン少年合唱団/ウィーン楽友協会女声コーラス/アンネ・ゾフィー・フォン・オッター(ms)(2001年)・・・世評大絶賛。ほんまか。細部仕上げはていねい、美しく響きは純化され、さっぱりとしたテイストに溢れます。テンポは速めなんだが、そうは感じない。粛々自然体で〜元気がない、と思いませんか。こんな洗練された、淡々とした演奏が主流なんですか?現在は。ブーレーズは大好きだし、これも×とは思わぬが、結局、彼のMAHLERはどれを聴いても全面賛同に至らぬ印象有(例外は先日聴いた「角笛」か。あれは声楽の個性を活かした良い演奏だった)。

ファンの方によると「SACDをお勧めする」とのこと。こちらフツウのCD+人民中国製ディジタル・アンプですもん。これはこれでかなり鮮明な音質と思いますよ。思い出したのは、同曲のシュターツカペレ・ベルリン/デ・ヤング(ms)/ウエストミンスター交響合唱団/アメリカン少年合唱団(2009年5月8日カーネギーホール・ライヴ)・・・音質が(正規録音ではないし)落ちるとか、ラスト尻切れトンボっぽいとか、不満ばかりであった記憶有、第1楽章再聴。なるほど。結局8年前の録音と同じではないか。粛々淡々とした、油脂分の抜けたような表現。オケの個性が違う(響きはもう少々地味というか質実っぽい)+ライヴ故のアンサンブルの仕上げの甘さはあっても、ほとんどいっしょ。逆にこんなもんか、と、少々見直してちょっぴり愉し� ��ました。

一回聴いて、即断は禁物ですね。いずれ、自分にとってヴェリ・ベストに非ず。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


相変わらずの睡眠不如意。運動不足か。せっかく明日より三連休は元気で遊びたいよう。相国寺承天閣美術館に伊藤若冲を見に行きたいよう。まず、本日クリアすべき宿題はずっしり重いけれど。きょうこそ通勤経路はがらがらでしょう、きっと。マンション前の幹線道路も朝からずいぶんとクルマは少ない感じ。

GERSHWIN ラプソディ・イン・ブルー/パリのアメリカ人/ピアノ協奏曲ヘ調(第2/3楽章)〜アール・ワイルド(p)/アーサー・フィードラー/ボストン・ポップス管弦楽団(1959/61年)・・・この辺りの亜米利加音楽は大好き、著名なる"ラプソディ"にカットがない、というのもありがたい。厚みがあってゴージャスなオケ、キレのあるテクニックのピアノ。問題はこれ以外に「アイ・ガット・リズム変奏曲」(ピーター・ネロ(p))など配置したいせいか、ピアノ協奏曲ヘ調の第1楽章が含まれない!それは「ラプソディ」で代替してね、みたいな(とんでも)趣旨か。このCD入手後数年、ずっと不満でした。

これがネットで全曲音源を(フリーで)拾えることに気付きました。ちゃんと3楽章分全曲ダウンロード。当然CDR収録はもったいないので、同じくフィードラーの「キューバ序曲」。更にはエド・デ・ワールト/モンテカルロ歌劇場管弦楽団による組曲「ポーギーとベス」で埋めておきました。(未だ余裕があったので、彼の「キューバ序曲」も、再度)ノリノリでヴィヴィッド、賑々しい雰囲気溢れたエエ演奏です。もちろん名曲。LP板起こしと思(おぼ)しい音質も上々。(音源場所失念/そのうち探しておきます)

では、行ってきます。

予想外いくつか。通勤電車は意外と、それなり混んでいたこと。営業成績進捗が鈍ったこと。連休前の宿題をほとんど100%クリアできたこと。なにより一昨日発覚したド・チョンボ(夢に迄出た)を(例の如し)土俵際、徳俵でうっちゃってなんとかしたこと〜良かったぁ。ここ一ヶ月、記憶にある限りで5回目?自慢にならん。土曜にちょっぴり呑みに行って、体調によろしくなかったので素直に帰宅いたしました。これで3連休。精神的にかなりリラックスしております。

通勤音楽。MOZART ピアノ協奏曲第22番 変ホ長調K.482(1962年)/第23番イ長調K.488(1963年)〜ゲーザ・アンダ(p)/ザルツブルグ・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカ・・・古楽器大好き。最近、アシュケナージも聴いております。(知名度低いが)マティアス・キルシュネライトの若々しい演奏、カルメン・ピアッツィーニの溌剌ストレート系も素敵でした。そして、このゲーザ・アンダに帰って行くのだな。原点。音質も悪くないし、弾き振りのオケも充分美しい。変ホ長調協奏曲K.482第2楽章の管楽アンサンブルに痺れます。誠実無垢なるピアノ、安定した技巧、飾りの少ない暖かい表現。20年前、充分に若かったワタシは胸ときめかせて通勤時に聴いていたのがこれですよ。

当時はちょっと冴えない、モダーンじゃない演奏かな?でも、大枚はたいて全集買うたし、これしか持っていない・・・そんな清貧の時代(いや、たしか時代はバブルだったぞ)現在の耳で聴けば、誠実、細部曖昧さのない、どこをとっても歌に溢れた瑞々しい世界と感じます。最高です。


●2011年5月某日の振り返りと後悔


【♪ KechiKechi Classics ♪】 更新は生活のリズムだが、本日より5月に入ったことを失念しておりました。早朝決起して「近況」更新。音楽日誌2011年5月の写真は2003年5月当時居住していた岡山ご近所春風景、30万画素おもちゃデジカメにて撮影したもの。尼崎とは天と地ほどの環境差でっせ。住まうところを自分の意思で決められぬのがサラリーマンの常、新しい切り口やら出会いがあるのも人生の一興でしょう。昨夜、酔って「音楽日誌」数行追加、大きなトラブルを一件発生させたことを失念していて、今朝思い出したところ。明日、なんとか奇跡的に良い方向へ流れてくれぬか、ムリか。世間はGW中で、それなりオフィス街(歓楽街?)である我が職場近所馴染みの呑み屋もかなり休んでおりましたね。飛び込みでお魚主体の店に入ったんだが、凄く混んでいたな� ��本格的に混雑する前に帰ってしまったが。

美姫ちゃん優勝。凄い。素晴らしい。

昨日、通勤音楽。DELIUS ダンス・ラプソディ第1番(1952年)/ヴァイオリン協奏曲(ジャン・プーニェ(v)1946年)/高い丘の歌(フリーダ・ハート(s)/レスリー・ジョーンズ(t)/リュートン合唱協会1946年)/山脈(Paa vidderne1946年)〜トマス・ビーチャム/ロイヤル・フィル・・・6枚組2,000円で釣りがくる・・・充分安いが人気ないだろうな、ユーザーレビューもなし。当然モノラル録音だが、奥行きと適度な残響が好ましい音質。ほとんど戦後間もない、英国疲労の頃だが、オケはかなり快調、瑞々しいアンサンブルを実現しております。どれも粛々淡々、呟くような穏健旋律がとめどなく続く〜といった風情の作品ばかり、決然とした爆発、絶叫、激しいリズム!みたいなものは一切存在しない・・・安寧、静謐、ゆったりと深呼吸のような風情が続きます。ヴァイオリン協奏曲は途切れない28分ほどの幻想的な作品、これを説得力を以て面白おかしく聴かせるのは至難の業でしょう。

ジャン・プーニェというヴァイオリニストは初耳だが、英国往年の名手なのでしょう。ヒストリカルのLPなどに名前を見ます。抑制と、味わい深い瞑想有。「高い丘の歌」は時々遠くから響いてくる(これまた)控えめな合唱+ソロ(ヴォカリーズ)が懐かしい。それはそれで爽快なる盛り上がりがやってきて、やがてそれも静かに収束していって儚い・・・


先週の風邪が完治していなかったらしく、終日体調不良。断続的に起きたり寝たり、状態。いずれ明日は出勤です。オークションで落札(事実上は業者)した「安政柑」到着。じつは11月に文旦を予約していて、天候不順で遅れているとの情報有。ところが3月になっても音沙汰がない。とっくにカード決済は終わって、質問を送ると、じつは福島県の業者で被災した、とのこと。果実王国ですからね、問屋さんも集中しているのでしょう。4月になって「出庫目処はいつか」と連絡したら「わからない」〜一週間待ったが、文旦の旬もそろそろ終わりです。最終的にキャンセルいたしました。

被災地支援とちゃんとした連絡、お詫びは別です。数ヶ月放置、こちらが連絡する迄サイトを見よ、質問したら「わからぬ」ではお話にならない・・・ので、珍しい安政柑を注文してみました。市場で人気ないのか?エラく安くて量も多い・・・が、物凄く甘くて酸味が足りない。不味いものではないが。いくつか喰って、北海道に送りましょう。

体調が悪いと音楽に対して集中力を欠きます。C.PH.E.BACH オーボエ協奏曲変ロ長調 Wq.164, H. 466/変ホ長調 Wq.165/イ短調Wq.132/MARCERLLO オーボエ協奏曲 ニ短調〜ヨージェフ・キシュ (ob)/フェレンツ・エルケル室内管弦楽団(1991年)・・・これはNAXOS初期のCDであり、まだ廉価盤が珍しく、ワタシも謙虚に音楽拝聴の幅を広げていた頃の入手。現在だったら、古楽器演奏なんだろうな。フェレンツ・エルケル室内管弦楽団って、1985年創立ハンガリーの団体らしいが、おそらくNAXOSが録音用に準備したんじゃないか。端正で飾りの少ない、それでいてヴィヴィッドな旋律であり、演奏です。MARCERLLOは誰でも知っている甘美な旋律でしょう。

音質も良いし、使用楽器解釈云々の前に作品に馴染むことですよ。



These are our most popular posts:

もしもトルコがウィーンを陥していたら

25 :世界@名無史さん:02/07/23 01:26: 1529年に陥していた場合と1683年に陥し ていた場合とでは随分異なると思われる。 多分1529年の .... 54 :世界@名無史さん: 02/09/07 00:36: それよりもメフメト2世が死ななかったらローマはどうなってたんでしょ うか。 スレイマン1世は ... その後どうなるかはさっぱり想像できないが。 ..... 間に京に就 いては全然知りませんがイスラムは発生しなかったって所に成るんでしょうかねぇ。 摩尼 教の ... read more

遺跡に落書きはつきもの - アルタクセルクセスの王宮址遺跡 - 楽天ブログ ...

【ウィーン支局】 (引用終了). 僕はスロヴェニアという国は行ったこともあるし山の綺麗な 好きな国ではあるが、その政治にまで取り立てて興味があるわけではない。 ... スロヴェニアのテュルクさんの場合、この説明が一番しっくり来るように思えるのだが。 .... そんなことすると有毒物質とかダイオキシンとか発生しそうだが、トルコではそんなこと は頓着しないし、普段環境がどうのこうのとうるさい .... 維持か女系容認かで揺れている そうだが(19世紀にはそれが名目で内戦=カルリスタ戦争にもなっている)、どうなるん だろうか。 read more

妄想で架空の歴史を熱く書いてくれ。

こを拠点に各地に続々と日本人町を形成し、1683年。 .... ブルゴーニュ(ブルグント) 王国の覇権を揺るがすには至らなかった。 .... その場合の日露戦争では日本に勝つ 見込みはまったくない。 .... これに呼応して既に社会民主党が第一野党(各得票数、 議席数では第一位)となっていた北日本で無血革命が発生、「日本社会民主 ... 本拠地 のプラハを奪回し、ウィーンへ進軍を開始。 ..... 78 : 世界@名無史さん : 02/02/17 06: 58: どうなるだろう? ..... でしょうし、敵を殺すことよりも新たな天下の為に活用しようと するのでは ... read more

ハプスブルグ帝国の外交政策

要するに国家テロとは小国が実行したものでテロリストが政府機関に関与している場合 です。そして国家の ... でしょう。 オーストリアのセルビアにたいする宣戦布告は得策では なかったのですが、これは予防戦争と呼ぶべきでテロという性格ではありません。 .... この時ウィーンの議会は11ヶ国語が飛び交い民族政党が乱立していたことが原因で しょう。 .... これら大地主は1683年オスマン帝国によるウィーン包囲のとき解囲に活躍 したポーランド国王ヤン・ソビエスキーの幕下にあったポーランド騎士団の末裔だと言 われます。 read more

0 件のコメント:

コメントを投稿