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2012年4月28日土曜日
イスラム教 - Wikipedia
イスラム教(いすらむきょう)は、正式名をイスラームという。 稀にイスラーム教とよばれることもある。イスラム教とは、唯一絶対の神(アラビア語でアッラーフ)を信仰し、神が最後の預言者たるムハンマド(預言者)を通じて人々に下したとされるクルアーン(コーラン)の教えを信じ、従う一神教である。
ユダヤ教やキリスト教と同様にアブラハムの宗教の系譜に連なる唯一神教で、偶像崇拝[1]を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色があるとされる。
名称
イスラム教はアラビア語を母語とするアラブ人の間で生まれ、神がアラビア語をもって人類に下したとされるクルアーンを啓典とする宗教であり、教えの名称を含め、宗教上のほとんどの用語はアラビア語を起源とする語である[2]。
イスラム教に帰依する者(イスラム教徒)は、アラビア語起源の言葉でムスリム(مسلم muslim)といい、ムスリムは、自らの教えの名を、アラビア語で「身を委ねること」「神に帰依すること」を意味するイスラーム (الإسلام al-Islām) の名で呼ぶ[3]。「イスラーム」は「神への帰依」を意味すると解されており、「ムスリム」(イスラム教徒)は「神に帰依する者」を意味する[4]。
また、「イスラム」という名称は、創始者(または民族)の名称を宗教名に冠していない(即ち、ムハンマド教とならない[5])。これは、他の主要な宗教とは異なるとされており[6]、この理由には諸説あるが、主な宗教学者[7]の解説によれば、イスラムが特定の人間の意志によって始められたものではないこと、及び国籍や血筋に関係なく全ての人々に信仰が開かれていることを明示するためであるとしている。
今日、この宗教を呼ぶ際に日本で一般的に用いられているイスラム教とは、アラビア語のالإسلام(イスラーム)という言葉が英訳表記された「Islam」に由来するものである。一方、近年、研究者を中心に、アラビア語の長母音をより厳密に反映した「イスラーム」という言葉が好んで使われるようになってきた。高等学校世界史教科書や参考書、あるいは書店に並ぶ本や雑誌においても「イスラーム」の表記が用いられることが増え、一般にも定着しつつあるといえる。[8]
日本を含む東アジアの漢字文化圏では、古くは「回教」と呼ばれることが多かったが、現在はどの国でもイスラームの名に基づく呼称が一般的であり、あまり用いられていない。中国語では現在も一般名称としてムスリムを"回民"と呼ぶ(「ムスリム」を音写した「穆斯林」も使われるようになっている)。
世界全体
今日、ムスリムは世界のいたるところでみられる。異論はあるが、11億人の信徒があると推定されていて、世界で2番目に多くの信者を持つ宗教である。ムスリムが居住する地域は現在ではほぼ世界中に広がっているが、そのうち西アジア・北アフリカ・中央アジア・南アジア・東南アジアが最もムスリムの多い地域とされる。特にイスラム教圏の伝統的な中心である西アジア・中東諸国では国民の大多数がムスリムであり、中にはイスラム教を国教と定め、他宗教の崇拝を禁じている国もある。もっとも、世界的に見ればムスリム人口の大部分は中東諸国以外の人々であり、世界のムスリムに占める中東諸国出身者の割合は20%に留まっている[要出典]。
世界のムスリム人口は、多子化やアフリカ内陸部などでの布教の浸透によって、現在も拡大を続けているとされる。また、移民として欧米諸国など他宗教が多数派を占める地域への浸透も広まっており、イギリスではすでに国内第2位の信者数を有する宗教である。また、現在の勢いがそのままだと、まもなくアメリカ合衆国で2番目の宗教になると推測されている[要出典]。
しかしながら、近年はわずかながら他宗教への改宗によりムスリム人口が減少している国も存在する。特にタジキスタンやウズベキスタンといった旧ソ連諸国では、ムスリムの正教など他宗教への改宗が目立ってきている[要出典]。ただ、現在では他宗教への改宗及び棄教行為はリベラルな法学者や信徒の間では自由とされているものの、クルアーンやシャリーア、ハーディスなどに書かれているように歴史的には死罪となるのが建前であり、現在でもこの立場を取っている法学者も多い。
なお日本人ムスリムの総数は、大規模な調査が行われていない事もあり、はっきりしていない。過去に行われた調査では数千~数万程度のばらつきのある数字が提示されているため、最大に見積もっても信徒数は5万名に届かないのではないかと推測されている。
トルコ、東ヨーロッパ、シリア、イラク、エジプト、インド、中央アジアにはオスマン帝国の公認学派であり、最も寛容で近代的であるとされるハナフィー学派(スンニ派)が多い。その他の地域では、イランはジャアファル学派(シーア派)、アラビア半島は最も厳格なことで知られるハンバル学派(スンニ派)、マグリブはマーリク学派(スンニ派)、東南アジア、東アフリカはシャーフィイー学派(スンニ派)が多い。
教典
アル=クルアーン
イスラム教の教典(聖典)としてすべてのムスリムが認め、従うのは、アラビア語で「朗唱されるもの」という意味をもつクルアーン(コーラン)唯ひとつである。 クルアーン(コーラン)はムハンマドが最後の予言者として語った内容が、ムハンマドおよび後継者の代によって編集され、書物となったものである。
アダム・ノア・アブラハム・モーセなどの預言者たちが説いた教えを、最後の預言者であるムハンマドが完全な形にしたとされている。
なお、クルアーン(コーラン)は極めて簡潔で、知識のないものには簡潔すぎて理解できない。後継者の代によって記述されたハディースをクルアーン(コーラン)のあとに読むと理解が深まる。
クルアーン自身の語るところによれば、唯一なる神が、人類に遣わした最後にして最高の預言者であるムハンマドを通じて、ムスリムの共同体(アラビア語でウンマ)に遣わした啓典(キターブ)であり、ムスリムにとっては、神の言葉そのものとして社会生活のすべてを律する最も重要な行動の指針となる。
イスラム教では、神(アッラーフ)が、預言者を通じて人類に下した啓典が、人類にとって正しい信仰の拠りどころになると考えている。
ムハンマド以前から、神は様々な共同体に預言者を遣わして、啓典を下してきた。しかしそれらのうちでもクルアーンは、神が人類に啓典を伝えるために選んだ最後にして最高の預言者であるムハンマドに対し、最も明瞭な言語であるアラビア語を用いて人々に与えた啓典であり、アラビア語で書かれたクルアーンの言葉は神の言葉そのもので、最も真正な啓典であるとされている。
このようなアラビア語に対する認識から、イスラム教は少なくともその成立当初はアラビア語を解するアラブ人のための民族宗教という一面を持っていたと指摘されることもある。しかし一方で、クルアーンは全人類のために下された啓典といわれており、現実にイスラーム教徒は民族を超えて世界中に存在していることから、イスラームは普遍宗教であるというのが通説である。ただしイスラーム教文化とアラブ文化を混同する傾向は、イスラームが普遍宗教となって以降も、アラブ人ムスリムを中心に残っている。
スンナとハディース集
上記のとおり、イスラームの教典としてすべてのムスリムがその内容を認める(認めることがムスリムとしての絶対条件とされる)のはアル=クルアーンのみであるが、実際にはアル=クルアーンに次ぐ事実上の聖典と言える書物が存在する。
そもそも預言者ムハンマドの在世中から、ムスリム達はムハンマドが神の言葉として語ったアル=クルアーン(として後に纏められる物)についで、ムハンマドが自分自身の言葉として語ったものや、ムハンマドの行動をスンナ(慣習)として尊び、アル=クルアーンに次ぐ指針としてきた。預言者ムハンマドの没後には、これらのスンナが識者達の伝承として伝えられていく。この伝承を、ハディースとよぶ。9世紀にはブハーリーやムスリムをはじめとする学者達がこれらのハディースの収集と記録に取り掛かり、ハディースの真偽を問うハディース学も発展した。
とりわけブハーリーとムスリムの記したハディース集は、後代のスンナ派の学者達によってすべてのハディースが真正であるという合意(コンセンサス、イジュマー)が得られており、そのためこの二つの真正集は「両真正集(サヒーハーニー)」と呼ばれ、前近代のスンナ派においては事実上の聖典として、アル=クルアーンに次ぐ地位を与えられた。シーア派でも、独自の基準で厳選されたムハンマドやイマーム達のハディース集が同様の扱いを受けた。
しかし近代に入ると、ヨーロッパ世界をはじめとする非イスラーム世界の学者達のハディース批判の影響を受け、両真正集のハディースや、甚だしくはハディースすべてを後代のイスラーム共同体による捏造として否認するムスリムも現れるようになった。
聖書
上記のとおり、イスラームではアル=クルアーン以前にも啓示を記した書物としてユダヤ教とキリスト教の聖書があるとしている。このことだけ見れば、これらの書物も、アル=クルアーン同様神の言葉であり、聖典として尊ばなければならないということになる。現にアル=クルアーンには、聖書を確証するためにアル=クルアーンがあるという節がある。
しかし現実には、ムスリムとユダヤ教徒やキリスト教徒との敵対関係、続くイスラームによる両教徒の制圧と従属民化に伴い、ムスリムの間では現実にユダヤ教徒やキリスト教徒が用いている聖書は改竄と捏造を繰り返されたもので、聖典としての価値を失っているとみなす教義を発達させた。その為現在に至るまでムスリムが聖書を読むことは、宗教知識人などを除けばほとんどない。
教義
六信五行
イスラム教の信仰の根幹は、六信と五行、すなわち、6つの信仰箇条と、5つの信仰行為から成り立っている。
六信は、次の6つである。
- 神(アッラー)
- 天使(マラーイカ)
- 啓典(クトゥブ)
- 使徒(ルスル)
- 来世(アーヒラ)
- 定命(カダル)
このうち、特にイスラム教の根本的な教義に関わるものが神(アッラー)と、使徒(ルスル)である。ムスリムは、アッラーが唯一の神であることと、その招命を受けて預言者となったムハンマドが真正なる神の使徒であることを固く信じる。イスラム教に入信し、ムスリムになろうとする者は、証人の前で「神のほかに神はなし」「ムハンマドは神の使徒なり」の2句からなる信仰告白(シャハーダ)を行うこととされている。
また、ムスリムが取るべき信仰行為として定められた五行(五柱ともいう)は、次の5つとされている。
- 信仰告白(シャハーダ)
- 礼拝(サラー)
- 喜捨(ザカート)
- 断食(サウム)
- 巡礼(ハッジ)
これに、聖戦(ジハード)を6つめの柱として加えようという意見もあるが、伝統的には上の5つである。
これらの信仰行為は、礼拝であれば1日のうちの決まった時間、断食であれば1年のうちの決まった月(ラマダーン、ラマダン)に、すべてのムスリムが一斉に行うものとされている。このような行為を集団で一体的に行うことにより、ムスリム同士はお互いの紐帯を認識し、ムスリムの共同体の一体感を高めている。集団の一体感が最高潮に達する信仰行為が巡礼(ハッジ)であり、1年のうちの決まった日に、イスラム教の聖地であるサウジアラビアのマッカ(メッカ)ですべての巡礼者が定まったスケジュールに従い、同じ順路を辿って一連の儀礼を体験する。
偶像崇拝の禁止
イスラームにおいては偶像崇拝が禁止されており、それゆえ、ムスリムが礼拝をおこなうモスクには、キリスト教の教会や仏教寺院とは異なり、内部には十字架や仏像など礼拝の対象となるものがない。ただ、広い空間に絨毯やござが敷き詰められているだけで、人びとはそこでメッカの方角をむいて祈る。モスクには、メッカの方角の壁にミフラーブと呼ばれるアーチ状のくぼみがあり、ムスリムはそれによってメッカの方向を知るのである。
写本絵画などにおいては、預言者ムハンマドの顔には白布をかけて表現されることが多いが、これも偶像崇拝を禁止するイスラームの教義に由来している。
預言者ムハンマド
「イスラーム」とは、唯一神アッラーへの絶対服従を意味しており、モーセ(ムーサー)やイエス(イーサー)も預言者として認めている。ただし、イエスもムハンマドもあくまで人間として考えており、それゆえ、イスラーム暦の元年はムハンマド生誕の年ではなく、西暦622年にメディナにウンマ(イスラーム共同体)ができたヒジュラの年を元年にしている。
信徒間の平等
イスラム教の聖典『クルアーン』(コーラン)には信徒間の平等が記されており、それゆえ、イスラーム社会では、他の宗教にみられるような聖職者・僧侶階級をもたない。宗教上の指導者を有するのみである。
信徒間の平等は、五行のうちの「喜捨」などの実践にもみられる。
歴史上では、アラブ人優先主義を採用したウマイヤ朝の支配のなかからアッバース革命が興起してアッバース朝の成立をもたらしたのも、平等主義を掲げたイスラームの教義によるものであった。
イスラームにおける天国
イスラームにおける天国(جنّة jannah) は、信教を貫いた者だけが死後に永生を得る所とされる。キリスト教と異なり、イスラム教の聖典『クルアーン』ではイスラームにおける天国の様子が具体的に綴られている。
イスラームでは男性は天国で72人の処女と関係を持つことができる。永遠の処女とされる。また決して悪酔いすることのない酒や果物、肉などを好きなだけ楽しむことができるとされている。[9]
後述する『ジハード』に関しても、過激派組織が自爆テロの人員を募集する際にこのような天国の描写を用いている場合が少なくないとされ、問題となっている。[10]
しかし、これらの描写は比喩的なものに過ぎないという意見もある。また、処女とは間違いで、実際は白い果物という意味だという説もある。この理由として、 650年頃に編纂されたコーランの書かれた地域のアラビア語の方言と、現在使用されているアラビア語では、意味が違ってくるからである。2005年にドイツのクリストフ・ルクサンブルクが、古代に書かれたコーランを古代アラブ・シリア語の語彙で解読すると、先述したように、意味が違ってくると主張している[11]。
社会生活
ムスリムは、クルアーンのほかに、預言者ムハンマドの膨大な言行をまとめたハディース(伝承)に、クルアーンに次ぐ指針としての役割を与えている。その理由は、ムハンマドは神に選ばれた最高の預言者であるから、彼の言行のすべては当然に神の意志にかなっていると考えられるからである。また、ムスリムの実生活上の宗教や日常に関するさまざまな事柄を規定するために、クルアーンやハディースを集成してシャリーア(イスラーム法)がまとめられている。
これらは教典ではないが、教典を補ってムスリムの社会生活を律するものとされており、その範囲は個人の信条や日常生活のみならず、政治のあり方にまで及んでいる。信仰の共同体と政治的な国家が同一であったムハンマドの存命中の時代を理想として構築されたイスラーム社会の国家は政教一元論に立っているのであり、ヨーロッパのキリスト教社会の経験から導き出された「政教分離」という概念はそもそもイスラームに適合しないという意見が存在するのはこのためである。但し後述するようにその遵守の度合いは極めて大きな差があり、トルコのような国家も存在しているため一概に政教分離が不可能であると決め付けることは出来ない。イスラムの特異性を過度に強調したステレオタイプ、もしくはキリスト教優越主義や欧� ��中心主義ではないかという批判もある。
!doctype>2012年4月26日木曜日
非日常の国イスラエルの日常生活 雑感日記
非日常の国イスラエルの日常生活 雑感日記
© Mika Levy-Yamamori/山森みか, 2003
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5月31日(土)
昨夜は娘の友達がお泊りに来ていて、朝から夫とパンケーキを作る。自家製のいちごジャムやピーチジャムなどと共ににいただく。その後、この娘の友達がフルートを持ってきていたので、娘にピアノで伴奏させようとか夫が言い出して、練習をする。何とか格好がついたところで、2軒隣のピアノの先生に聞いてもらいたいと娘が呼びに行く。といっても安息日の朝の9時半である。まだガウン姿だったという先生は、仕方なく着替えてやってくる。 気の毒なこと。その後、11時から娘のピアノのミニ発表会。これは生徒のうちで回りもちでやるもので、今回は娘の同級生の家。近いので歩いて行く。 彼らは、私たちのようなビニヤミナ新参者ではなく、昔からここで農業をしていた一家であり、両親と子ども3人(その子どもの一人が娘の同級生の親なのだが)がそれぞれ敷地500uずつの一軒家をずらりと並べて建てて住んでいる。今日お邪魔したお宅の子ども3人は養子で 、娘と同級生の女の子は南米、2人の男の子はエチオピア系である。一家でこれほど外見が異なると、いっそ気持がよい。うちもけっこう違うけれど――私と娘の組み合わせだと日本人親子に見られ、私と息子の組み合わせだとイスラエル人とフィリピン人メイドだと思われていた。また夫と息子の組み合わせだとイスラエル人親子、夫と娘の組み合わせだとイスラエル人がベトナム人養子を取ったと見られた。この外見という記号は、人間の理性がなかなか及ばず、つい振り回されてしまう領域であるらしく、イスラエル人の中にも、私がどれだけヘブライ語を話してもどうしても英語で受け答えしてしまう人やらがいてオカシイ。ガイジンと見ると相手がいくら日本語で話していても、ついノーとか言ってしまう日本人と同じじゃないか。 そういうときは「目をつぶってみろ、目を」と言いたくなる。『いちげんさん』というデヴィッド・ゾペティの小説における、ガイジンの外見でありながら日本語を話す自分を「差別」しなかった唯一の日本人が全盲の女性であったという設定は、たいへん妥当なものであった。ふつうエチオピア系の子どもは宗教派の学校に行くので、この家の二人の男の子が、ビニヤミナの世俗系小学校にいるただ二人のエチオピア系ということになる。 このような場合は、幼稚園のクラスから子どもたちに彼らの事情を周知徹底させるようで、娘たちも幼稚園年長組のときに、この南米系の同級生の具体例と共に、「世の中には養子という制度があること」、「外見がどれほど違っていても家族であること」を、先生に説明されてきた。で、この種の集まりは菓子持ち寄りなのだが、昨日用意したケーキとクッキーが残っていたのを幸い、おから塩味クッキーを持って行く。発表会後の歓談で、おからと豆腐のレシピをヘブライ語で出版せよと強く勧められるが、20年ほど前に当時ヘブライ大学に留学していたI氏夫人がヘブライ語で豆腐のレシピの本を出版していたのを思い出し、その旨言うと、「20年前の本なんてどこにも売っていない」と言われる。まあそうなんだろうねえ。 午後からは、うちの電気系統兼夫のHP担当者一家が来て、昨日以来残っていたケーキを一掃。ケーキからケーキ、歓談から歓談へという、恒例の安息日。
ハアーレツ電子版を読んで、昨年9月に首相が外国人労働者を今後受け入れないと決定し、12月以降農業及び建設業に携わるための外国人労働者が入国していないことを知る。なるほど。それが最近の東欧、アジア人へのビザ延長拒否問題の背後にあったのか。そしてその状況において先週、一定数のパレスチナ人に労働許可を与えることにしたのか。でも、日本人の大学院生や日本語講師の仕事というものは、ビザが出されないからといって、イスラエル人やパレスチナ人においそれと回せるものでもないんですけれど。
5月30日(金)
昨夕、空気中の砂と共に季節はずれの雨がぱらついたため、窓もクルマも洗濯物もすっかり汚れてしまった。仕方がないので洗濯物をもう一度水洗いする。でも今日は気温も下がり、空もきれい。朝から、キブツに魚をもらいに行く。庭の池に入れるためのものだけれど、金魚というより10−20cmの鯉を30匹ぐらいくれた。すべて発色だか模様だか形だかが悪いために売り物にならない運命のものだそうだ。庭の池に放つと、さっそくネコとカワセミがやってくる。その後スーパーに行くと、特売品の棚に積み上げられたケチャップの前で顧客とマネジャーらしき人々が声高に口論している。「このケチャップを特売品だと思って買ったのに、レジでは特売表示の値段より高い値段で打たれていたことに家に帰ってから気付いた� ��という抗議のようである。双方とも引かず、というか、「これは詐欺だ! 何人の客が気付かずに高い値段を払ったことか!」と怒鳴る顧客に、マネジャーらしき人物が「故意にやったのではない、間違いだ!」と怒鳴り返している。すごいなあ、としばし見とれる。おかげで、ケチャップを買わなければならなかったことが思い出せたが。
夫が、午前10時半からうちでイスラエル物語作家ナントカ会議みたいなのがある、というので、おそうじの人を急かせて1階だけ先に終わらせてもらう。ケーキと塩味おからクッキー(昨日豆腐と共におからも届いたので)と飲み物の準備がまだできないうちに、人々がやってくる。結局、作家、編集者、挿絵画家たちが20人ぐらい来た。会場費節約のため、今回はうちでやることになったらしい。けっこうアメリカンジューイッシュが多く、英語とヘブライ語がちゃんぽんで飛び交っている。みなそれぞれ、自分の経験を語ったり情報交換したり。私は別に関係ないのだけれど、何となく切れ切れに聞いていると、どのようにして質の高い作品を商業主義の流通システムの中で読者に届けていくか、が主題らしい。イスラエル最大� ��書店チェーンの名前が挙がると、皆ヘブライ語で最大の罵りを浴びせかけている。いずこも作家は流通システムで苦労するようだ。夫は、福音館の絵本などを取り出して見せている。
今までこのサイトでは、1ドル=約5シェケルで計算した値段を書いてきたのだが、ロードマップ受容と国家予算通過を好感して、今日は1ドル=4、4シェケルという2001年のレートまでシェケルが強くなったと言う。世の中にはオプティミスティックな人々もまだいるのね。ここ最近、友人のだれ某は取引先が入金してくれなくて借金がいくらいくらあるらしい、とか、だれ某はもう3ヶ月給料をもらっていないらしい、とかいう話ばかり聞いていたのだが。
5月29日(木)
庭のぶどうの房が、だんだん大きくなってきている。1ヶ月前に採った野生のスピナッチは、再び群生している。今日は今年一番の熱波だそうで、テルアビブでは40度以上あるらしい。うちは、設計が省エネ仕立てなので、こんな日でも冷房なしでけっこう快適なのだが、外に一歩出ると、空気に砂が混じっており、かなり辛いものがある。 午後からは、砂で空が黄色くなって、気の滅入る天気。そういえば一昨日、うちの冷房を設置してくれた人が、夏に備えて点検に来て、ガスを入れなおしてくれた。うちは、1階がキッチン+サロン、客用寝室と私の仕事部屋、2階が主寝室と子ども部屋2つ及びTV 鑑賞用小サロン、そしてその上のロフトが夫の仕事部屋となっているのだが、2階以上にはミニセントラル空調機{各部屋に吹出口がある)、1階は中古の空調機がキッチン+サロンに取り付けてある。私の仕事部屋は、一応密閉できる保安室なので、空調機は付けられないのだが、外気と遮断されているせいかそれほど暑くない。この人 は、本来はバス会社で働いているのだが、副業として冷房設置をやっており、うちの冷房は彼が助手を使って全部組立、設置してくれた。イスラエルは、この種の個人の職人が多く、どこか故障したりしたときにはメーカーなどには連絡せず、このよう な人々に頼むことが多い。 そういえばうちの暖房用石油ストーブも、買ったのは北部のドルーズの村だが、設置してくれたのは本業が航空会社職員の近所の人であった。500リットルの石油が入る缶が庭に設置してあり、そこから床下を通して石油が常時供給されるようになっているのである。この人は、趣味と実益を兼ねてストーブや煙突をいじっており、冬が近づくと点検に来てくれる。このような技術を持っていて親切な人 には、口コミでどんどん仕事がくるシステム。それにしても、バス会社とか航空会社に入ろうと発想する人は、元々この種の機械いじりが好きなのだろうか。
なんだかニュースで、アブ・マゼン(アッバス)とシャロンとブッシュの会談だとか、アブ・マゼンが歴史的な和平への一歩を踏み出そうとしているとか言っていても、一向に希望というものがかき立てられない。 一度砕かれてしまった希望を、もう一度何の保証もなく抱くということは、ことほどさように難しいものかと思う。 ハアーレツ電子版には、「今こそ成熟した現実的前進を」、というふうなことが書いてあるが、成熟を経た希望というものは、何と言いましょうか、苦い味のするものなのだなあ。同僚の先生からは、ビザの更新が拒否されていたことが判明したというメールが来る。学生たちの話では、ハイファ大学の日本人学生も、ビザが更新されていないそうだ。
5月28日(水)
大学に行って、学期末テストをオフィスに持っていくと「おお、よく持ってきてくれた」と秘書に感謝される。テストは、実施日の2週間前にA日程とB日程の分をそろえて渡すという規定になっているのだが、あまり守られていないようだ。私だって、今回は実施日の2週間前というのは守ったけれど、渡したのは1、2、3年生用ともA日程のものだけ。B日程用のはまた後ほど、と言って帰ってきた。ま、忘れていないということさえ秘書にアピールしておけば、別に1週間前に渡してもたいしたことにはならないだろう。このA日程とB日程というシステムだが、テルアビブ大学は学生の専攻が多岐に渡っているため、取っている 科目の組み合わせによっては、どうしても試験時間が重なるものが出てくる。それで予め、どの科目であれ試験を2回行うのが前提となるのだが、A日程とB日程の間は1ヶ月以上開いていなければならない。ま、2回チャンスがあるというのは良いことなのだけれど、学期が終ってからも何だかエンエンと試験が続いているような気になるのである。また、A日程とB日程のために、同じレベルだけれど違った問題を二つ予め用意しなければならない。軍の予備役などで両方ともに来られなかった学生のために、さらにまたC日程とか特別日程とかが組まれることもある。何と申しましょうか、教員泣かせのシステム。学科のオフィスには、なお大学院開設を求める学長への署名用紙が貼りだしてある。本当にこんなので効果があるのだ� ��うか。まあ、学科を閉めるとぶち上げれば、院生だけでなく学部学生も動くだろう が。また手紙をいっぱい重ねて持って行くというのは、イスラエルでよく使われるアピールの手法なのだけれど。学科を閉めるかどうかの危機的状況だというのに、学生たちは「日本の夕べ」をやりたいとか言っている。「中国の夕べ」とか「ヒンディ語の夕べ」とかが企画されているのを 掲示で見たのである。だから、ジャパノロジストの学科長も私たちもそういう雰囲気じゃないんだってば。学生が自主的に企画してこういうことをやりたいと言ってきてくれれば、私たちも協力するけれど (私だってそのような催しのためにかつてヘタな劇の脚本を書き、イヤがる同僚の先生たちを説き伏せて参加してもらったりしてきたのである)、日本人教員が自ら動いて 楽しいことを企画する、というのは期待しないでちょうだい、来年があるとすれば、来年がんばって企画してね、と言う。
うちに帰ると、お豆腐が届く。ようやく柔らかい豆腐が食べられるようになった。ありがたいこと。
5月27日(火)
朝から学校に持っていくサンドイッチのことで、娘に文句を言われる。イスラエル人は、チョコスプレッドとかジャムとかピーナツバターといった塗る系のモノを、サンドイッチのパンの両側に付けないとガマンができないらしい。しかし私は、あんな甘いものを両面に塗るなんて、とつい思ってしまって、片側にだけ塗って上からもう一切れのパンをのせ、サンドイッチにするのがやめられない。しかし、娘も夫も、それだと塗っていないほうのパンが後々まで乾いていて、おいしくないのだと言う。そうなのか? 私は生まれてこのかた、そんなことを気にしたこともなかったが。息子もきて、絶対両面に塗るべきだと言う。ホントにもう、そんなことをしているから、1週間にチョコスプレッドを一瓶使い切ってしまうのよ。
ハアーレツ電子版で、パレスチナ人労働者を再びイスラエルに受け入れるしか、この双方の苦境を乗り切る道はない、という主旨の記事を読む。イスラエルでは、特にアル・アクサ・インティファーダ以降パレスチナ人労働者の代わりに 、アジア及び東欧から労働者を受け入れてきた。 しかし、パレスチナ人は現金収入を得るためにはイスラエルに労働力を売らざるを得ない。またイスラエルにとっては、アジア、東欧労働者に支払った賃金は本国に送金されてしまうが、パレスチナ人労働者の場合はイスラエル製品を購入するという利点がある。フェンス設置による分離ではなく、テロの懸念を克服してパレスチナ人労働者を受け入れるというアクロバティックなことをしなければ、未来への展望は開けないのである。その一方で、再三書いているように、現在もめている外国人の労働ビザ問題がある。外国人労働者にとっては、イスラエルから締め出されるのは「人権問題」となるだろう。和平達成とか二カ国共存とかの言葉の背後に横たわる各種の困難を思うと、もうそう簡単には希望を抱けないのである。
5月26日(月)
ストの記憶が薄れたため、あまりありがたいとも感じず電車に乗って大学に行く。休み時間に演習助手の院生が来て、来年のカリキュラム問題がどうなっているのかを話してくれる。テルアビブ大学の東アジア学科は、95年の学部学科開設時から大学院コースの設置を目標としてきたのだが、そして一昨年あたりからそれが実現しそうだったのだが、とにかくこの不況のため大学当局は大学院設置は無期限見合わせという回答をしてきたらしい。で、学科長を中心とする教授たちが学長に、「大学院が開設できないなら来年学科を閉じる」という強い態度に出たそうだ。それで、演習助手の院生たち(彼らは、他の学科の大学院に籍を仮に置きながら勉強しているのである)がまず、連名で学長に手紙を書き、また学部学生に広くサポ� ��トの署名を求めるという行動に出たのだそうだ。私に話しにきてくれた院生は、あちこちのクラスに入っては学部学生に協力を呼びかけている。また大学院のクラスに行ったら、皆が学長に提出する手紙の文言を推敲している。学科のオフィスには、署名を集める掲示 が出て、また学長宛の個人の手紙を受け付けるファイルも置いてあるそうだ。おお、いきなり学生を巻き込んだ政治の季節に突入してしまったのね。イスラエルだなあ。だいたい毎年200人以上の新入生がやってくる学科をそんなに簡単に閉じられるわけがない。現在の1年生、2年生はどうするんだ。途中でおっぽり出すのか。どうせいずれは双方が歩み寄って何らかの現実的な合意に達するのであれば、もうちょっと穏当な言い方とか方法とかはないものか。ないんだろうねえ。穏当に言っていたら、手に入るものも入らないかもしれないんだし。
授業の後は、同僚の先生と町に出る。私が今書いている原稿のための写真をさらに用意したいと言ったので。写真を撮りつつ、またアイスクリームをなめつつ歩いていると、3年ぐらい前の学生に声をかけられる。テルアビブは狭いので、たまにしか町に出なくても、何らかの知り合いに会う。そしてまたぼうっとした顔でふらふら歩いているときにかぎって、学生に会うのである。
5月25日(日)
大学のカリキュラムは、あまりにも来年のことが決まらないので、同僚の先生によると、学生たちのあいだでいろいろな噂が流れているらしい。ロードマップ受入閣議決定とかニュースで言っていても、だれも何の希望も抱かない、というのはすごい。93年以降イスラエル社会の間でどんどん盛り上がっていった「和平は必ず達成される」という確信は、あれはいったい何だったんだろう、と改めて思う。94年に、私たちが東京からビニヤミナに移住してきたとき、息子は小学校1年だったが、その年の小学校の年間テーマが「平和」だった。やたらハトの形の紙の切り抜きを作らされたのを覚えている。アル・アクサ・インティファーダが始まってから、あまりにも多くの停戦合意が結ばれ、それがことごとく空しかったからねえ。 そういえば、一昨日書いた「アニー オプティミ」のTシャツだが、日本で着てくれそうな人が見つかりました。「アニー オプティミ」の下に、「責務なし。週末と祭日のみ有効。在庫がなくなるまで。」と書いてあるもの。イスラエルでは、もうオプティミズムの在庫がなくなってきたのかしらん。
昨日パートナーが見つからず、カヤックを漕ぎに行けなかった夫が、今日は画家兼左官家兼左官屋のアラブ人の友人と一緒に海に行く。でも風が強くて、何度も沈したそうだ。アラブ人の友人は、初めてだったそうで、寒い寒いと言って帰ってきて、セージのお茶をふうふうと飲んでいた。気の毒に。今晩は、息子の学校(中高一貫というわけではないが同じ敷地)で、「スポーツの夕べ」があるという招待状が来ていた。昨年息子は、学年最優秀スポーツなんとか、をもらった。一位が盾で、二位が40ドルぐらいの図書券だか金券。何と申しますか、「名をとるか、実をとるか」ということの意味が実によく生徒に分かるような教育方針である。去年息子は盾をもらったのだが、今年はどうなることか。娘は最近、夫にせがんで絵の� ��き方を教えてもらっている。デッサンの仕方とか影の付け方とか。こうやって、また絵を描く人が再生産されていくのねえ。
5月24日(土)
!doctype>2012年4月25日水曜日
『*[科学]』の検索結果 - Neko73のつめとぎ
マーガリンはプラスチックだって?
はてなキーワードの「トランス脂肪酸」が余りにもアレだったので色々知恵を貸して貰って編集したっていう。おかげで色々見られました。
トランス脂肪酸とは - はてなキーワード
元々はこんなん。
トランス脂肪� cite="http://www.maff.go.jp/j/syouan/seisaku/trans_fat/t_kihon/content.html" >
トランス脂肪酸は油脂類に最も多く含まれており、マーガリン、ファットスプレッド、ショートニングに特に含有量が多い製品があったほか、バター、植物油脂、動物油脂にも比較的多く含まれていました。
脂肪酸の総量が多ければトランス脂肪酸も多くなります。
脂肪酸は細胞膜を構成する物質ですが、トランス脂肪酸で形成されるとその細胞膜は弱く、免疫機能が低下することも指摘されています。
トランス脂肪酸で形成されると細胞膜が弱い?免疫機能が低下する?何をどうするとそうなるんだ?
追記:細胞膜を構成する不飽和脂肪酸がトランス型に置き換わってしまった場合流動性が低くなるということが考えられ、動脈硬化の要因になるようです。
多くのファストフード店や惣菜のお店で水素添加された油脂は、ショートニングの表示で利用されています。 フライヤーの中に入ってしまえば、液体化するので、まさか固体の油脂が使われているなんて、と驚かれるかもしれませんね。
まるで固体じゃいけないみたいですね。血管の中で固まっちゃうと思ってるのかな?
水素添加マーガリンの害が最初に指摘されたのはドイツです。水素添加マーガリンの発売開始時期・地域と、クローン病(腸の慢性炎症疾患)患者の出現時期と地域が一致したことがきっかけでした。
時期・地域が一致しただけ?その後どうなったの?
他のサイトも少し見てみましたが、どうもトランス脂肪酸を危険視する話はこればっかり気にし過ぎのように見えます。良くあるのが飽和脂肪酸が血液をドロドロにするから良くない、トランス脂肪酸もそうだという話ですが、それならトランス脂肪酸より飽和脂肪酸の方を問題にするべきでしょう。トランス脂肪酸を多く含むというマーガリンやショートニングも、トランス脂肪酸は副生成物に過ぎずその主成分は飽和脂肪酸です。飽和脂肪酸を減らせばトランス脂肪酸の摂取量も減らすことができますし、トランス脂肪酸の割合が低くても飽和脂肪酸の摂取量が多かったら意味が無いハズです。
とはいってもトランス脂肪酸にリスクが無いワケではありません。
トランス脂肪酸とは、何ですか?|よくあるご質問|生活クラブ
トランス脂肪酸を多く摂取するとLDLコレステロール濃度を上昇させる作用が確認されており、飽和脂肪酸よりもその作用が強いという報告もあります。LDLコレステロールの変化は摂取脂肪酸のバランスと総量に影響されますが、トランス脂肪酸に関する実験を総括すると、摂取総エネルギーの概ね5%以上のトランス脂肪酸を摂ると影響が現われるとされています。
何をどのぐらい食べると「総エネルギーの概ね5%」に達するのかちょっと想像できませんが、農水省のリストが参考になるかもしれません。
農林水産省/食品に含まれる総脂肪酸とトランス脂肪酸の含有量
特に多いのはポップコーンとショートニングかな?ハヤシルウなんてのもありますがこれは溶かしますからねぇ。
トランス脂肪酸の摂取が乳癌などの発症リスク増加と関係があるとする疫学研究報告があります。しかし同様の研究で、有意差はないが増加したとする報告や有意差はないが減少したという報告もあります。
飽和脂肪酸やn-6系脂肪酸(リノール酸など)に関する疫学調査でも、同様に脂肪酸摂取により乳癌の発症リスクが増加したなどと報告されています。脂肪自体について過剰な摂取が乳癌や大腸癌の増加と関係があるとされていますが、偏った種類の脂肪の摂取は有害な作用をもたらす可能性があると考えられるので、摂取バランスが重要と言えます。トランス脂肪酸等に関しても、非常に偏った摂取をしない限り、乳癌等の心配はないと考えられます。
トランス脂肪酸に限らずバランス良く摂取した方が良い、というありふれたお話。
トランス脂肪酸で問題とされるコレステロール上昇作用や発癌リスクは、脂肪酸の摂取量と摂取バランスに関係するものです。コレステロール上昇作用は摂取総エネルギーの概ね5%以上のトランス脂肪酸を摂った場合に問題になるとされており、欧米やWHOの専門機関はトランス脂肪酸の摂取を総エネルギーの1%以下にするよう勧告していますが、日本人は平均で0.7%程度とされています。さらに日本では欧米と比較して、魚類などからの多価不飽和脂肪酸摂取が多く、逆に食肉等からの飽和脂肪酸摂取は少ないため、平均的な食生活をしていれば、トランス脂肪酸の影響は心配ないと考えられます。発癌リスクに関しても同様に考えられます。
酷い食生活をしてなければ影響なさそうですね。
ちなみにここでもプラスチックについて触れられています。
油脂には常温で液体のもの(なたね油・大豆油・米油・べに花油など)と常温で固形のもの(パーム油・ヤシ油・豚脂・乳脂など)があります。油脂の構造はグリセリンに3つの脂肪酸が結合しトリグリセリドと呼ばれています。脂肪酸は炭素原子と炭素原子の結合の仕方で様々な種類があり、グリセリンに結合する脂肪酸の種類や配置によってなたね油になったり大豆油になったりします。よって、常温で液体と固体の油は脂肪酸が違うだけで同じような構造であると言えます。
プラスチック(合成樹脂)の構造は油脂の構造と全く違い、エチレン・プロピレン・塩化ビニル等の重合によって構造されています。油脂にありますトリグリセリドはありません。
油には脂肪酸が有るけれどプラスチックには無い。そもそも別物、ですね。
全く違う性質のプラスチックはともかく、トランス脂肪酸とそうでないシス型の脂肪酸はちょっと分子のつながり方が違うだけです。そのちょっとした違いが有害かも知れないというのは生体の奥深さでしょうか。このちょっとした違いで匂いも変わります。
鏡像異性体は沸点や水への溶解度などほとんどの物理化学的特性や、 鏡像異性体を有しない化合物との反応性において全く同じ性質を示す。 しかし、鏡像異性体とは異なる相互作用をするため、その塊である人間にとっては別物である。 例えば(R)-リモネンはオレンジの皮などに含まれる芳香成分であるが、 (R)-リモネンはオレンジの匂いがするのに対し、(S)-リモネンはペパーミントの匂いがする。
それだけ生物は複雑なんですね。例えば目の光を感知する仕組みにはシス型の物質が使われていて、これが光の刺激によってトランス型に変わることで情報を送っているのだとか。
ロドプシン は視細胞において光センサーとして働く分子で、オプシンと呼ばれる蛋白質に レチナール が結合したものです。簡単に言えば目において光を感知する分子です。そして視細胞内でのレチナールに含まれるある二重結合はシス型であることがわかっており、これが 光を感知する機能に重要 なのです。と言うのは、光刺激による11-シス-レチナールからオールトランスレチナールへの異性化で大きな構造変化を起こし、その構造変化をシグナルの始点として光の情報が脳に送られるからです。もしオプシン中のレチナールが安定なシス型だと光刺激を受けても構造変化しないでしょうし、もちろん飽和でも同じことです。あえて不安定なシス型の二重結合を用いることで、光刺激によってトランス型へと異性化する構造変化を巧みに利用 しているようです。ちなみにトランス型へ異性化したレチナールは暗所で酵素的にシス型へと戻されるそうです。
かように複雑な人体ですから、トランス脂肪酸の害というものが有っても不思議はありませんね。農水省にも色々と情報があります。
農林水産省/トランス脂肪酸の摂取と健康への影響
まぁでも、結局はこれでしょうか。
部分水素添加油脂に由来するトランス脂肪酸は、健康への便益が無いことが立証され、明確な健康リスクのある、工業的な食品添加物と見なすべきである。
特にこれといって益は無いというワケでして。減らせるなら減らすに越したことはないと。
後はこちらがちょっと気になりますが…
対照試験及び観察研究では、特に、例えばインスリン抵抗性が既にある、内臓脂肪症又は運動不足などの危険因子を抱える個人において、トランス脂肪酸がインスリン抵抗性を悪化させる可能性が示唆されている。
何にせよトランス脂肪酸だけを避けることはできませんから、油・脂肪の取り過ぎに注意するという対応に変わりはないと思います。
アスパルテームについて主に畝山さんのブログ他を片っ端から読んでみた
最初に言っておきますが私は専門家の端にも引っかからない素人です。間違いが有ったらなるべく対応したいと思いますが、手に余る場合はそのように申し上げるかもしれません。
で、アスパルテームだかアステルパームだか判らなくなるアスパルテームですが。(ならない?)
ダイエットコークを始めとして様々な飲料・食品に使われている合成甘味料で、アスパラギン酸とフェニルアラニンというアミノ酸でできています。砂糖よりも甘味が強いので、砂糖を減らしたり使わないことを売りにした製品に入っているワケですね。
ところがコレ、毒だと主張する人がいます。本当に毒性があるんでしょうか?
断って置きますが、私は別にアスパルテームを摂取しろと言うつもりなどありません。自分自身わざわざダイエットじゃない普通のコーラを選ぶぐらいで、なぜかと言うと味が気になるからです。アスパルテームだけでなくアセスルファムもエリスリトールも避けて砂糖の入ったものを選びます。
しかし気にならないのであればアスパルテームのような合成甘味料は糖分の取り過ぎによるリスクを避けられるメリットがあります。ですが嫌いだったり不安を感じているのであればアスパルテームなんて口に入れなくても生きていけますから我慢する必要はありません。また、合成甘味料は嫌だけど砂糖を避けたいのならこういうものも有ります。
マービー甘味料はトウモロコシなどの澱粉(デンプン)から作られる還元麦芽糖水飴を100%使用しています。
体内でインシュリンの分泌をほとんど促さないので、脂肪分と同時に摂っても大丈夫。つまり脂肪が体内に蓄積されず、血糖値も上昇させません。さらに、マービー甘味料は、糖尿病や肥満症などのカロリー摂取制限を必要とする方に適した低カロリー甘味料として厚生省の許可を受けており、発売以来25年以上にわたって、病院や薬局を通じて多くの方に使われています。カロリーコントロールが必要な方や、健康にダイエットしたい方など、ご家族皆様で、安心してご利用いただける甘味料です。
原料はトウモロコシなどのデンプンですし、麦芽糖もなじみがありますよね。食品は天然ものじゃないと心配な人でも大丈夫ではないでしょうか。これなら砂糖も合成甘味料も両方避けられます。
その気になれば果物の甘味を利用するとか砂糖が貴重だった時代の知恵も使えるでしょうから、探せば色々な方法を実践している人がいるのかも知れませんね。
ただし天然の材料を使った甘味料だから絶対安全というワケではありませんから注意するにこしたことはありません。砂糖でもそうですが、何であれ際限なく使うのはやめた方が無難です。
・妊娠中、授乳中の安全性については充分な情報がないので、通常の食品に甘味料として添加される量を超える大量摂取は避けた方がよい。
・血糖降下作用のあるハーブ、サプリメントや糖尿病治療薬との併用では、血糖コントロールに影響を与える可能性がある。II型糖尿病患者は注意が必要である。
・ステビオサイドは血圧を下げる作用があるため、ベラパミルなどのカルシウム拮抗剤、血圧降下剤、血圧低下作用のあるハーブやサプリメントの作用に相加的に働く恐れがある。注意して用いること。臨床検査値などでもステビアが血圧に影響することがある。
・ステビオサイドには変異原性、遺伝毒性、避妊活性、催奇形性などはみられない。しかしながらステビオールとステビオールの代謝物はin vitro で変異原性がみられた。
・ステビアは、生殖に関して副作用をもつ可能性がある。ステビアの水性抽出物は雄のラットの精子の数を減少させ、精巣の重量を減少させる。ステビオールを食べたハムスターのメスでは子孫の数とその体重が減少する。
まぁ普通は大量に摂取しないでしょうから大丈夫だと思いますが。正直脅かしすぎですよね。「in vitro で変異原性」というのは培養した動物の細胞とか微生物で実験して見つかったということで、生きた動物だとまた違うのでしょう。でも妊娠中などは一応警戒してください。持病のある方も。
さてアスパルテームに戻ります。
えー、これはちょっと極端過ぎますかねぇ…でもアスパルテームが有害だという主張の根っこにあるものは見えていると思います。
具体的な害については発癌性・催奇形性・脳の異常・失明・躁鬱病などなど、重大なものが並んでいますが、根底にあるのは食品産業への不信、大企業と政府の癒着を疑う猜疑心、さらにアメリカの便利さにまかせたドラッグカルチャーみたいなものが日本の食文化を侵食しているという不安、といった所ではないでしょうか。
しかも「アスパルテームをめぐる攻防戦はFDA史上最大と言われ、いまだに語り草になるほどのもの」だそうで、そのような大反対にあっていながらレーガン政権になるとFDA局長が「元国防省の研究者アーサー・ヘイズ」に交代、アスパルテームが認可されてから現在に至るまで世界的なシェアで利益は莫大…疑いたくなるのも仕方ないかもしれません。
しかし仮に癒着が有ったとして、それはアスパルテームの有害性と関わりのある事なのでしょうか?
明確に害が有るのならそれを証明すれば済む話です。しかし害が無い事を証明するのは難しいでしょう。「強硬な反対にあっているが害は無かった」としたら?
十分な安全性を確認しないまま押し通したのであれば問題です。しかし現在まで長い間アスパルテームは使われ続けているワケで、本当に害が有るなら人体実験をしているようなものじゃないかと思います。それで害は証明されたのでしょうか?
「食品安全情報blog」にはアスパルテームの安全性を巡る記事が多く有ります。論文からの引用なども有ってかなり専門的な内容ですが、参考にさせて貰いましょう。
アスパルテームは毒か
「ADI」という見慣れない言葉が登場します。先にこういったサイトを見ておくと良いでしょう。
化学物質が有害な作用をしない量が「NOAEL」です。動物実験ですね。個体差が有るので複数の固体に投与して全て影響の無かった量を使います。
この時点でかなり安全な量ですが、動物と人間では違いもあるので念の為10分の1にします。それでも個人差で敏感な人がいるかもしれないのでまた10分の1にします。合わせて100分の1。
つまり動物に影響が無い量の100分の1が「ADI」です。
他にも「LD50(半数致死量)」とか「ED50(半数作用量)」とか載ってますが、半数致死量のような数値を出すにはそもそも死んで貰わないといけませんから、それだけ強力な毒性が無いと判らないでしょう。半数作用量にしても半数に害を与える程度の強さが必要ですよね。
量を増やすにしたってあまり膨大な量になってしまうと実験動物のラットなりに食べて貰うのが大変です。甘味料だったら甘味料を加えた餌というより甘味料しかない様な状態になってしまうでしょう。それで害が有ったとして、それは普通の餌をほとんど食べてないからじゃないの?ってことになりかねなません。偏食のラットじゃなぁ。
さて問題のアスパルテーム。
イタリアのEuropean Ramazzini Foundation of Oncology and Environmental Sciencesが、2005年と2006年にアスパルテームを含む餌を与えたラットでリンパ腫と白血病が増加したと主張する二つの報告を発表した。EFSAがこの報告及びその他の研究を評価し、2006年5月に現行のADI 40mg/kg bwを変更する理由はないと発表した。
「European Ramazzini Foundation of Oncology and Environmental Sciences」長いですが略して「ERF」は何度も出てきます。アスパルテームの有害性を主張する研究団体みたいです。
FSANZはアスパルテームの安全性を評価して食品への使用を認可した。FSANZはさらに2003年9月にアスパルテームの現状の摂取量を詳細に調査した。その結果平均的消費者はADIのわずか6%、高摂取群でADIの15%を摂取していることがわかった。この調査に基づきFSANZはオーストラリアにおけるアスパルテーム摂取量は健康に有害な影響が出る濃度より充分低いと結論した。
「高摂取群」でさえも「100分の1」のADIと比べて15%の摂取量。仮に有害性が有ったとしても、この量で害なんて出るんでしょうか?
アスパルテームは砂糖の約200倍甘い甘味料で世界中でこれまで25年間ソフトドリンクや低カロリー食品などに使用されてきた。膨大な研究が、たとえたくさん食べたとしても、アスパルテームの代謝物が有害影響をもたらすほど蓄積することはないことを示している。アスパルテームをADI相当量摂るには成人で14本の砂糖無し飲料を毎日飲まなければならない。そしてなんらかの悪影響が出るにはそれを生涯毎日続けなければならない。
想定されたドリンクのサイズを知りませんが350ミリリットルでも14本はキツイですね。
わずかな使用量である事はアスパルテームのような高甘味度甘味料に共通のメリットで、様々なものが使われていますがいずれも微量です。
人工甘味料は、米国栄養学会ADAによれば、消費者がカロリーを削減し体重をコントロールすることや糖尿病のような慢性疾患を管理するのに役立ち、虫歯予防の可能性もある。
今日FDAが認可しているのは5つの人工甘味料で、これらは食品添加物として市販前に安全性を評価されて認可されている。認可された甘味料の典型的米国消費者の使用量はADI未満である。
アスパルテームは砂糖の200倍甘い。そのカロリーは砂糖同様4kcal/gであるが、使用量から考えるとカロリーなしとみなすことができる。ブランド名としては NutraSweetや Equalがある。1981年に初めて卓上用やガム、朝食シリアルや他の乾燥製品用として認可され、1983年には炭酸飲料に、1996年には全ての食品と飲料に一般用甘味料として使用認可が拡大された。
承認前にFDAはガンや有害影響がないという膨大な数の動物実験結果をレビューした。 この中にはヒトの摂取量の100倍以上高用量をラットに投与した研究も3つある。
アスパルテームはカロリーゼロでは無いんですよね。でも200倍甘いので使う量が200分の1です。
「ヒトの摂取量の100倍以上高用量」というのは通常摂取している量に対して100倍ということなのかADIに対してなのかどっちだろう。
アスパルテームは食べると体内でメタノールと二つのアミノ酸−アスパラギン酸とフェニルアラニン−に分解される。これらの物質は他の普通の食品からもっと大量に生じている。
フェニルアラニンが含まれるため、アスパルテームは遺伝的疾患フェニルケトン尿症の患者にはリスクとなる。この疾患の患者はフェニルアラニンを代謝できないため、アスパルテームを避けるべきである。アスパルテームの規制には製品にフェニルアラニンを含むことを表示することを求めている。
どうもこの話が脳障害を起こすという誤解に繋がっているように思います。フェニルアラニンは他の食品にも含まれているのでアスパルテームに特異な問題ではありません。
イスラエルと韓国の類似性 - 国際情勢の分析と予測
米国がイランの核開発を事実上容認か、北朝鮮も衛星発射と同時に核実験の準備、21世紀の世界システムへ
独ノーベル賞作家がイスラエルの核武装を激しく批判、シュピーゲル誌もこれを擁護。イスラエルも窮地に
2012年4月24日火曜日
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Donde esta mercado? | ||||
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Mas 3 cuadras. |
2012年4月22日日曜日
ザ・シンプソンズ・マルチ・リージョン - ディクショナリー
THE SIMPSONS MULTI REGION 日本人が海外で見たザ・シンプソンズ!
ザ・シンプソンズ語録。
■ あ 行 ■
WORD | MEANING |
アイ・カランバ | 【Aye carumba】 |
アンドロイド・ダンジョン | 【Android's Dungeon】 |
イート・マイ・ショーツ | 【Eat my shorts】 |
イッチー&スクラッチー・ショー | 【Itchy & Scratchy Show】 |
イヤー・ブック | 【Year Book】 |
エクセレント | 【Excellent】 |
エバーグリーン・テラス | 【Evergreen Terrace】 |
エフ | 【F(Fail)】 |
■ か 行 ■
WORD |
2012年4月20日金曜日
バレンタインデーに告白する勇気のない人が、上手に告白する方法。 | 告白の成功率を上げる30の方法 | HappyLifeStyle
告白の成功率を上げる30の方法
【その9】
日本には、バレンタインデーがあります。
本来は、ローマの司祭「バレンタイン」が殉教した記念日を意味します。
日本では、女性が男性に愛を告白できる日として、チョコレートを渡す日と思われていることが多いようです。
商業的な意味合いのほうが強くなってしまいました。
!doctype>2012年4月19日木曜日
マハトマ・ガンディー - Wikipedia
モハンダス・カラムチャンド・ガンディー(グジャラート語 グラジャラーティ文字表記:મોહનદાસ કરમચંદ ગાંધી、デーヴァナーガリー文字表記: मोहनदास करमचन्द गांधी、ラテン文字表記:Mohandas Karamchand Gandhi、1869年10月2日 - 1948年1月30日)は、インドのグジャラート出身の弁護士、宗教家、政治指導者。
マハトマ・ガンディー(=マハートマー・ガーンディー)として知られるインド独立の父。「マハートマー(महात्मा)」とは「偉大なる魂」という意味で、インドの詩聖タゴールから贈られたとされているガンディーの尊称である(自治連盟の創設者、アニー・ベザントが最初に言い出したとの説もある[1])。また、インドでは親しみをこめて「バープー」(बापू:「父親」の意味)とも呼ばれている。日本ではかつて「ガンジー」という表記がよく使用されていた。
1937年から1948年にかけて、計5回ノーベル平和賞の候補になったが[2]、受賞には至っていない[3]。ガンディーの誕生日にちなみ、インドで毎年10月2日は「ガンディー記念日」(गांधी जयंती、ガーンディー・ジャヤンティー)という国民の休日となっており、2007年6月の国連総会では、この日を国際非暴力デー(英語版)という国際デーとすることが決議された。
南アフリカで弁護士をする傍らで公民権運動に参加し、帰国後はインドのイギリスからの独立運動を指揮した。その形は民衆暴動の形をとるものではなく、「非暴力、不服従」(よく誤解されているが「無抵抗主義」ではない)を提唱した。この思想(彼自身の造語によりサッティヤーグラハすなわち真理の把握と名付けられた)はインドを独立させ、イギリス帝国をイギリス連邦へと転換させただけでなく、政治思想として植民地解放運動や人権運動の領域において平和主義的手法として世界中に大きな影響を与えた。特にガンディーに倣ったと表明している指導者にマーティン・ルーサー・キング・ジュニア、ダライ・ラマ14世等がいる。
性格的には自分に厳しく他人に対しては常に公平で寛大な態度で接したが、親族に対しては極端な禁欲を強いて反発を招くこともあったという。なお、インドの政治家一族として有名な「ネール・ガンディー王朝」(インディラ・ガンディーら)との血縁関係はない。
[編集] 生い立ち
イギリス領インド帝国、現在のグジャラート州の港町ポールバンダルで、当時のポールバンダル藩王国の宰相カラムチャンド・ガンディーと、その夫人プタリーバーイーの子として生まれた。ポールバンダルの小学校に入学後、ラージーコートの小学校に入りなおす。成績が悪く融通もきかない面があった。
小学校時代は素行も悪く、悪友にそそのかされて、ヒンドゥー教の戒律で禁じられている肉食を繰り返していただけでなく、タバコにも手を出し、タバコ代を工面する為に召し使いの金を盗み取ったこともあった。
その後、12歳でアルフレッドハイスクールに入学。13歳の若さ(インド幼児婚の慣習による)で生涯の妻となるカストゥルバと結婚。18歳でロンドンに渡り、インナー・テンプル法曹院に入学し、法廷弁護士となるために勉強する。
[編集] 弁護士に
卒業後、1893年にはイギリス領南アフリカ連邦(現在の南アフリカ共和国)で弁護士として開業した。しかし、白人優位の人種差別政策下で、鉄道の一等車への乗車を拒否されるなどの差別を体験したことで、イギリス領南アフリカ連邦の人種差別政策に反対し、インド系移民の法的権利を擁護する活動に従事するようになる。
1880年代以降、ガンディーはインドの宗教的叙事詩・バガヴァッド・ギーターとロシアの小説家・レフ・トルストイの影響を受けていたが、『新約聖書』の「山上の垂訓」など基督の十字架の道を深く理解し、「非所有」の生涯を決意する。後の非暴力運動思想を形成していく。
20世紀初頭には、南アフリカ連邦となり、1913年に原住民土地法が制定されるなど人種差別政策の体制化が進んだ南アフリカにおいて、インド系移民の差別に対する権利回復運動を行った。この時の経験は1915年にインドに帰国してからの民族運動にも生かされている。
[編集] イギリスによる裏切り
1914年に第一次世界大戦が起こると、イギリスは将来の自治を約束して、植民地統治下のインド人に協力を求めた。ガンディーはこの約束を信じ、インド人へイギリス植民地軍への志願を呼びかける運動を行った。しかし戦争がイギリスの勝利に終わっても、自治の拡大は、インド人が期待したほどの速度では進行せず、またドイツからの援助を受けていた一派による蛮行を抑えるため、インド帝国政府は強圧的な「ローラット法」を制定するにいたる。
さらに1919年4月13日には、パンジャーブ地方アムリットサル(シク教の聖地)でスワデーシー(自分の国の意で国産品愛用)の要求と、ローラット法発布に対する抗議のために集まった非武装の市民に対して、グルカ族およびイスラム教徒からなるインド軍部隊が無差別射撃し数百人を虐殺した「アムリットサル事件」が発生した。この一連のインド帝国政府の態度は、ガンディーに「イギリスへの協力が独立へとつながらない」という信念を抱かせるようになった。
[編集] 不服従運動
第一次世界大戦後は、独立運動をするインド国民会議に加わり、不服従運動で世界的に知られるようになる。またイギリス製品の綿製品を着用せず、伝統的な手法によるインドの綿製品を着用することを呼びかけるなど、不買運動を行った。「インドの糸車を廻すガンディー」の写真はこの歴史的背景による[4]。
こうした一連の運動のために、ガンディーはたびたび投獄された。例えば1922年3月18日には、2年間の不服従運動のために、6年間の懲役刑の判決を受けている。第一次の不服従運動は、1922年にインド民衆が警察署を襲撃して20人ほどの警官を焼死させる事件が発生し中止されたが、1930年より不服従運動は再開された。とりわけ、「塩の行進」と称されるイギリスの塩税に抗議した運動は有名である。 ガンディーが不服従運動のための協力者の要員を募集する際のその条件は、やはり多くの人と信頼を構築でき、その協力を得られるような人格者であったが、この「非暴力運動」に参加すること自体でも、暴力で運動を止めさせようとする兵士に対して反撃を行わず、逃げもしないという非常な勇気が必要とされ真の強さと忍耐が必要とされる。 非暴力の思想はインドと距離的に近い西アジアなどでも見られ、アジアで生まれたヒンドゥー教、イスラム教、仏教、キリスト教[5]でそれはあてはまり、アジアの思想に共通するという思想からガンディーは自分はヒンドゥー教徒であり、イスラム教徒でもあり、また、原始キリスト教という意味ではキリスト教に賛同するとして宗教グループ間や世界の人々に対話を呼びかけた。
!doctype>2012年4月18日水曜日
メンフィスをWikipediaで調べた、抜粋; - 英語- - -へたの横好き
メンフィス (テネシー州)出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
メンフィス
City of Memphis
愛称 : The River City, The Bluff City
位置
メンフィス (英: Memphis) は、アメリカ合衆国のテネシー州西端、ミシシッピ川に面する都市で、州都ナッシュビルを上回る同州最大の都市。人口は約68万人で、その6割強をアフリカ系アメリカ人が占める。19世紀に綿花の集散地として発展する一方で奴隷市が開かれた歴史を持つ。
今日でも綿花や木材の集散地であると共に近辺の商工業の中心地である。航空貨物取扱の最大手、フェデラル・エクスプレスの本社がある。セントルイスと並ぶブルースの発祥地としても有名であり、音楽産業が盛んで、エルヴィス・プレスリー、マディ・ウォーターズ、ロバート・ジョンソン、W・C・ハンディ、B.B.キング、ハウリン・ウルフ、アイザック・ヘイズ、ブッカー・T・ジョーンズ、アル・グリーンらを世に送り出してきた。ミシシッピ川に突き出たマッド・アイラン ドは母なるミシシッピ川とアメリカの歴史をモチーフとしたテーマパークである。市名はエジプトの古代都市にして都の一つでもあるメンフィスに因む。愛称は「川の街」(The River City)あるいは第四チカソー崖の上に位置することから「崖の街」(The Bluff City)。
!doctype>2012年4月16日月曜日
Wales 〜名前に刻まれた歴史とイメージ〜
Countries, Cultures & Customs 〜国・文化・習慣など〜 |
Wales 〜名前に刻まれた歴史とイメージ〜
"Wales人(Welsh)" は "外国人"?
イギリスの Wales は、ご存知のように England に隣接しています。この Wales という地名は、England のアングロ・サクソン人がつけたもので、「外国人・よそ者」という意味に由来しています。研究社新英和大辞典は、[OE Wealas, pl. of wealh foreigner] と解説しています。
この地の人たちは、イングランド人と異なり、ケルト人の血を引いています。ケルト人は、紀元前7世紀ごろに現在のイングランドに渡ってきました。しかし、5世紀中ごろになると、イングランドに侵入したアングロ・サクソン人に圧迫され、ケルト人は西部や北部に追いやられることになります。1284年に征服されて、1536年にはイングランドに併合されてしまいます。このため、昔の地図には「ウェールズ」が地図上にはないもの、つまり「イングランド」「アイルランド」「スコットランド」しかないものが見られます。UT Library Online に1360年の地図があります(このページの最後にUT Library Online トップページへのリンクをはっています)。
United Kingdom の旗を見ても分かるように、イングランドに併合されていたウェールズの旗は反映されていません。(左からNorthern Ireland、England、Scotland、United Kingdom、Wales)
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Welsh に刻まれた偏見?
"welsh"にはなんと「1.[競馬]賭け金を勝者に支払わずに逃げる」「《俗》2.[人への]借金(義務)をごまかす;[人に]違約する」という意味があります。Bookshelf(小学館)には、「用法」として「ウェールズ人はこの語を軽蔑的な語と感じる」という解説を載せています。American Heritage には、"1. To swindle a person by not paying a debt or wager" "2.To fail to fulfill an obligation." [Origin unknown] と定義されています。[Origin unknown]とされていますが、"Welsh"「ウェールズ人;ウェールズ語」と全く関連がないとは言えないのではないでしょうか。「ウェールズ人」に対する侮蔑・偏見があった(現在もある?)ことが、この語から想像できます。
☆The Columbian Guide to Standard American English によると
!doctype>2012年4月15日日曜日
石原慎太郎の発言を皆さんどう思いますか?公人・選考委員の立場で、人を馬鹿にす... - Yahoo!知恵袋
inkyo_at_the_cornerさん
彼は、自分の欲望のままに言葉を発する。言葉によって人に何かを伝えようとはしていない。自分の言葉が人にどう受け取られるかには、関心もなければ、責任も感じない。
よくいえば、率直に発言している。
!doctype>2012年4月13日金曜日
Maryland Airports Information At Skyscanner
You will find below information about airports in Maryland. Use the links below to read detailed information about airports in Maryland: locations, routes, live departures and arrivals etc.
2012年4月12日木曜日
コーチング|オリジナル コラム 006〜010
空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。(マタイ伝6:26 )
我が家のシーズーを見てると、上記の言葉を連想します。ほんとにかわいがられるために生まれてきたようなわんこで、愛想が良すぎて番犬としては全く役に立ちません。よく後足でタッタッと体を掻いてます。仕事しないということでは徹底してます。家族全員の「癒し」としての存在は大きいですけど・・・
こんな犬でも生かされているわけだから、人なら誰でも生かされる値打ちがあるはずですね。
不遇の時期には、どうかすると自分は役立たずだとか、穀潰しだとか思うものです。でも役に立っていると言ったところで五十歩百歩ではないでしょうか。
落ち込んでセルフイメージが小さくなったら、上記のイエスの言葉を思い出すがよいのです。役立たずでも、生かしてもらえます。そのうち他人さまのお役 に立てるよう励めばよいのです。
では、セルフイメージの最も大きい人はどんな人でしょうか。
この話題の補助線としてトラインの名著を紹介します:
(前略)
宇宙における最も目を見張るべき中心的事実は何といっても、無限の生命、無限の力を有する宇宙霊というようなものがあらゆるものの背後に存在して、それがすべてのものに生命を与え、すべてのものの内に、すべてのものを通して、それみずからを顕現しつつあるということである。
ペンと絵筆inアフリカ: 『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』 マンデラの本音が初めて聞ける本
拙訳『ネルソン・マンデラ 私自身との対話』が明石書店から出版されました。以下、「訳者あとがき」の抜粋です。明石書店のHPはこちらをご覧ください。
*****
・・・ネルソン・マンデラに関しては、既に多くの本が書かれている。中でも最もよく知られているのは、自伝『自由への長い道』だろう。しかし、『自由への長い道』は「自伝」とはいいながら、実は多くの人の手がはいった共同作業だった。
出版された1994年は、南アフリカ史上初めて民主的な総選挙が行われた年。白人が何十年も「テロリストの集まり」と見做してきた解放運動組織ANC(アフリカ民族会議)が、NP(国民党)のアパルトヘイト政権に取って代わった。経済力を握る白人の間には、黒人多数支配に対する不安や懸念や不信がまだ根強い。国際社会は民主国家の誕生を喜びながらも、南アフリカの人種和解の行方と、黒人政権の舵取りに懐疑的だった。
!doctype>2012年4月10日火曜日
「夫婦関係の破綻」の定義とは? - 楽天 みんなで解決!Q&A
別居後の不倫は慰謝料の対象にならない,ということはありません。破綻後の不倫であれば,そのとおりですが,破綻というのは,夫婦関係が崩壊して,修復の余地がない(責任のある方が改心しても元に戻らなくなっていること)ことをいいますので,夫が一方的に出ていって別居に至り,夫から離婚の調停の申立てがあったという程度では,破綻にはならないのが原則です。
!doctype>2012年4月9日月曜日
2012年4月8日日曜日
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2012年4月6日金曜日
蘇る父の健康法
(色あせない思い出に父の健康法がありました)
新年早々、新幹線に乗り遅れてしまいました。福島県からの帰りに、コーヒーショップで原稿に夢中になっていたら発車時間が過ぎていました。
まぁいいか次で行こうと思っていたら、目の前にでっかい看板が見え「玉子湯」と書いてある。「秘湯なんだ~~~」なんて眺めていたら、冒険心がうずき、すぐタクシーに乗りました。
「しまった!」と思いました。すごい山奥に連れていかれている。あたりは暗くなっていくし、不安になり引き返そうかと思った頃、目もくらむほど明るいホテルに着きました。そこだけ別世界なのです。
!doctype>2012年4月4日水曜日
携帯電話ゲーム@2ch掲示板
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2012年4月3日火曜日
音楽日誌2011年5月(日々の振り返りと後悔)【♪ KechiKechi Classics ♪】
●2011年5月某日の振り返りと後悔
すっかり体調は快復し、終日諸作業に追われ、若い者の印刷屋出稿(一週間遅れ)やり直しをラスト迄(手取り足取り指導)付き合ってド・残業。更におとなりチームの責任者と酒、そちら3年、こちら4年目、もうエエでしょ、元気の良い行動力ある上司(10歳下)+(なんでもできる)ヴェテラン番頭二人、盤石の体制だが、若い者が息詰まるだろうし、次がいつまでも育たない。サラリーマンは自分のお仕事は選べぬ、というのが基本だが、意志とアピールは必要だとの話題でした。ワタシは閑職でなければどこでもよろしいんです。帰宅は11時半頃、ちゃんと駅から歩きましたよ、16分ほどだが。
通勤音楽は、MAHLER 交響曲「大地の歌」〜ピエール・ブーレーズ/ウィーン・フィル/ウルマーナ(ms)/シャーデ(t)(1999年)・・・この録音前後、FMライヴを拝聴して愕然とした記憶有。ずいぶん旧い記事だが、言い回しは慎重であって、10年を経て正規録音確認したということですよ。既にエア・チェックMD処分済み、ライヴがどんな演奏だったが確認しようもないが、この間のパターンと変わりはない。音量は大きくないのに、細部迄見通しがよろしい、ほとんど浪漫の残滓を一掃して素っ気ないほど無駄を削ぎ落とし、ムリのない表現+緻密クールなアンサンブル。結論的にブーレーズが指揮するとオケの個性が素直に、というか鮮明に表出するということですよ。歌い手は若々しく、かつての巨匠時代の個性とは違った鮮度がありました。(但し、ヴィオレ� �タ・ウルマーナの独逸語ってなんかヘン?もちろん門外漢ド・シロウトの直感だが)
新時代の、美しいMAHLERといった手応え充分。響きは濁らず、洗練されておりました。
呑んだ次の日はたいていお仕事快調。ボンヤリしたほうが雑念が入らないからか、それとも明日の余裕を見越して呑みにいっているのか?先週出張時にいただいた宿題に悩んでいたが、本日一気に形が出来、資料完成、内部にも取引先にも送付できました。もちろん上司にも報告済。毎日の諸作業様々こなした(つもり)だが、夕方にはほとんど忘れました。そんな日常也。明日より次月の作業サイクル開始。(それに所詮机仕事、トラブル処理もないし、ずっと職場ネット環境を利用して音源データ・ダウンロードしておりました)早々に帰宅。ゆっくりしております。
本日の通勤音楽は思わぬ収穫有。SAINT-SAE"NS 交響曲第3番ハ短調(1976年)/ピアノ協奏曲第4番ハ短調(ロベール・カサドゥシュ(p)1961年)/序奏とロンド・カプリチオーソ(ジノ・フランチェスカッティ(v)1964年)〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック・・・数ヶ月前に一度(交響曲のみ)聴いていて、全然あかん、違和感ばかり、といった感想だったんだが、久々の拝聴に印象一変。かなり粘着質、重く、深い演奏であって、1960年前後の粗っぽい推進力を想像すると少々様子が違っております。既にブーレーズ時代、アンサンブルの仕上げはかなりていねい、オケは快調、各パート(管楽器)も上手いもの。オルガンは別録りかな?よく分離して聞こえます。華やかな仏蘭西系演奏を期待すると、かなり方向性は違っておりました。かなり重厚な、ある意味古� ��的な作風を強調したもの。
ラスト大爆発も悪くないじゃないか!・・・すると、ほの暗い落ち着いた旋律が〜やがてしっとりとピアノが参入いたしました。なんせ、通勤前、えいやっ、とCDプレーヤーに仕込んでいくので詳細内容は覚えていないんです。何番だっけ?と帰り考えながらたっぷり愉しんでおりました。瑞々しいタッチ、美しい音色だ。最終盤に至ってミッキーマウスのテーマ(風旋律)が楽しげ、ユーモラスに歌われます。帰宅して演奏者、そして第4番ハ短調であることを確認したが、こんな名曲だったんですね。第2番ト短調もルービンシュタイン/ミトロプーロス(1952年)にて初めて作品に目覚めたものです。フランチェスカッティの明るいヴィヴラートはお馴染みでした。
油断していると、あっという間に5月終了・・・のような、GWが遠い昔のような・・・不思議な感覚。
●2011年5月某日の振り返りと後悔
台風通過。東日本はこれからだろうし、西日本も地盤が緩くなっているんじゃないか。じつは昨日、ちょっぴり右腰上部に痛みが〜今朝、4時頃かなりの痛みに目覚め(おそらく)尿路結石の発作と診立てました。9年ぶり。かつての七転八倒、座薬入れても飯も喰えぬほどの激痛症状に非ず、石は小さいなと類推、一時間半ほどで治まりました。きっと然るべき位置にまで動いたのでしょう。命に別状なしとは言え、この痛みは並のもんじゃない、それが怖くて座薬を冷蔵庫と出張カバンに常備しておりました。でもね、さすがに10年経過、先月捨てたところだったんです。まいりました。即軽快してよかった。生き返ったみたい。月曜は休みにくいんです。この症状は通院してもなすべきことは決まっているし。但し、前回はじつは胆石で あった〜手術に至ったが、あれとは症状が全然違う。
BACH カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」/第147番「心と口と行いと生活で」〜ジョン・エリオット・ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(1990年)・・・全集完成ならなかったARCHIV録音。先週、別な作品にて、油脂分抜けすぎと聴いたが、レーベル変わっても印象変わらず。もしかして我が貧者のオーディオ(人民中国製極小サイズ・ディジタル・アンプ)との相性問題か。お気に入り作品だったのに、なんかぴん!と来ないんだな。体調問題か、リューシンク盤に戻らなくては。
では、雨の中、行ってきます。昼からは上がるらしい。
●2011年5月某日の振り返りと後悔
いつまでも洗濯物が乾かぬ湿っぽい日が続きます。梅雨に入ったそうな。台風も接近していて、うすら寒い天候に精神(こころ)も体調もどんよりしております。兄のところの孫の写真が両親より転送され、まだ小さく、弱々しいが、希望の命を見ていると元気出ます。可愛らしい女の子。息子にも転送しておきました。
MAHLER 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ジョナサン・ノット/バンベルク交響楽団(2003年)・・・カイルベルト時代の記憶を辿れば、洗練とアンサンブルの精緻に時代の変遷を感じます。技術的な向上と引き替えに、独逸ローカル融通の利かぬ頑固サウンドも消えてしまったような?ノスタルジーか。中庸、クリアであり、コントロールに優れ・・・結果的に日常化してしまった"上手い"MAHLER。この作品に対峙することが大事(おおごと)であった時代は過ぎ去りました。優秀録音に間違いないんだが、それが?といった感じ。熱血バーンスタインやら(全然別な意味で完成度の高い/正規盤全集入手済)ショルティとか、遙か別の時代の産物に思えるほど。(再聴必要)テイスト方向としては、要らぬ力みが抜けたブーレーズを連想させます。
MAHLER 交響曲第9番ニ長調〜アラン・ギルバート/ロイヤル・ストックホルム・フィル(2008年)・・・いまやニューヨーク・フィルのシェフである半分日本人(母親はバイオリニスト建部洋子さん/五嶋姉弟の先生)は40歳代気力体力充実している世代。これは知情意バランスとの取れた、スケール大きい演奏と聴きました。この作品に必須の人生の諦念、苦味がちゃんと行間から溢れ出、たんなる"上手い"MAHLERに非ず。テンポは体感やや遅め、ストックホルム・フィルの充実した芯をしっかり感じさせるサウンドもお見事、前時代的身をよじるような難行苦行系ではないけれど、さっぱりこだわりのない演奏でもない。色気はちゃんとありますよ。
ニューヨーク・フィルならこの作品をちゃんと振れないと話しにならん、ということか。
もの凄い雨、風だし、本人は体調不良ということもあるけれど、いつもの引き籠もり休日也。自主CD一杯作っていたのと+HD容量を空けるためダウンロードした音源をDVDにせっせと焼いておりました。なんて暗い、内向きの趣味なんだ・・・
SCHUMANN ピアノ協奏曲イ短調〜スヴァトスラフ・リヒテル(p)/ジョルジュ・ジョルジェスク/ソヴィエト国立交響楽団(1958年ライヴ)・・・リヒテルには数種の録音が存在して、当然音質状態のよろしいもの、バックが整ったものを優先して聴くのがよろしいでしょう(マタチッチとの1974年録音など)。これも好事家の世界也。期待しないで聴き始めたが、これが意外とよろしい。かなり良心的なモノラル録音、ルーマニア往年の巨匠ジョルジュ・ジョルジェスク(1887〜1964)が客演した時の記録は、燃えるような情熱+テクニックのキレ味充分。聴き応えありますよ。オケはオーボエの音色などかなり違和感があって、ドロ臭い感じ。時にこんな出会いがあるから油断できん。
なんかだらだらした(いつもの)休日でした。
●2011年5月某日の振り返りと後悔
精神が緩み切っているのか?体調どんより状態継続。台風来ているそうですね。例えば、処理作業中の福島原発に暴風雨直撃したらどうなるのだろうか。あれは10年のスパンのケリになるのだろうな、きっと。これからの政策、節電問題さておき、たった今現地にて劣悪環境で働いている労働者の労苦は計り知れません。毎日、やりきれんだろうな。ご近所に酒場もないし。
BOCCHERINI チェロ協奏曲第2番ニ長調/VIVALDI チェロ協奏曲ハ長調 RV398/ト長調 RV413/TARTINI チェロ協奏曲イ長調〜ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(vc)/パウル・ザッヒャー/チューリヒ・コレギウム・ムジクム(1977年)・・・パウル・ザッヒャー(またはザッハー1906-1999年)はスイスの指揮者であり作曲家、彼のために多くの著名な作曲家が曲を捧げておりました。例えばSTRAVINSKYの「バーゼル協奏曲」、R.STRAUSSの「メタモルフォーゼン」、BARTOKの「弦、打楽器、チェレスタのための音楽」「弦楽のためのディヴェルティメント」、他びっくりするくらいの物量有。このバロック音楽は、いつものようにヴィヴィッド、かつなまなましい官能チェロ+充実したバックに支えられて、スケールの大きな演奏であります。つまり、ロストロポーヴィチの雄弁は作品が変わっても、いつも通りということです。これでエエのか。
問題は「BOCCHERINI チェロ協奏曲第2番ニ長調」でして、このCD情報あちこちネットで検索しても全部そうなっている・・・BOCCHERINIのチェロ協奏曲集は代表作だけど、第2番はイ長調(G.475)でっせ。もちろん別の作品。番号付けは通称だからいろいろあるのか、実際に収録されるのは第6番ニ長調G.479也。DGが最初に出した時のミスがそのままずっと残って再発されているのかも、と類推いたします。(BBSにて情報有。作曲者作の目録、出版時、およピコー(サンフォア補筆)の旧目録では第2番となっていた、とのこと)
蛇足ながら、フィル・アップはSCHUMANNのチェロ協奏曲イ短調(1960年)。他でダブっているから聴いていないが、あまり配慮ある組み合わせとは思えぬ・・・。 Glenn Gould in Concert (1951-1960)CD6枚組より、SCHO"HNBERG 3つのピアノ小品 作品11(1952年10月4日、トロント)/「架空庭園の書」作品15(ケルスティン・マイヤー(ms)1960年8月2日、ヴァンクーヴァー)/ピアノ組曲 作品25(1952年10月4日、トロント)/WEBERN 変奏曲集 作品27(1957年5月19日、レニングラード)/KRENEK ピアノ・ソナタ第3番 Op.92-4(1957年5月19日、レニングラード)〜グレン・グールド(p)・・・こんな難解かつ素っ気ない作品が粛々と胸に染みるのは、体調精神状況どこかおかしいのか。しかも、余り状態よろしからぬライヴ(放送録音?)時にテープの劣化によると類推される音の揺れもあります。ま、若いころから何度も挫折したから、やがて身に付いた、音楽の本質に接近できた、ということでしょうか。とつとつとして無機的、乾いた音列を拝聴していると妙な不安が迫ります。おそらくはグールドの表現が明晰なのでしょう。70分を超える収録も厭きさせません。ある時は壮絶な技巧(SCHO"HNBERG ピアノ組曲 作品25)、親密繊細なる集中力(WEBERN 変奏曲集 作品27)。
こんな音楽が"楽しい"とは!
●2011年5月某日の振り返りと後悔
一連の行事会議一段落して精神的に緊張感が途切れたのか、昨夜より体調悪化。当日欠勤はよほどじゃないとしない(いったん這ってでも出て行く)主義なので、とにかく通常出勤いたしましょう。お仕事段取り付けて昼から帰るか、明日の福井方面行事対応も微妙。
RAVEL 左手のためのピアノ協奏曲ニ長調/ピアノ協奏曲ト長調〜モニク・アース(p)/ポール・パレー/フランス国立放送管弦楽団・・・久々の拝聴。1966年録音というのは裏を取っていないみたいで(p)1966表示を鵜呑みにしたみたい。そこにも記述はあるが、音質かなり良好でしてピアノ、オケともRAVELに必須であるリズム感の冴え+緻密な集中力と粋がバランスして、極上であります。複雑、荒唐無稽、素敵な作品ですよね。「左手」はコントラバス+コントラファゴットに超低音による怪しげな開始〜華やかなピアノ・ソロが延々と続くが、最終場面でちょっぴり、おもちゃの楽隊みたいな響きが挟まるでしょ?あそこ大好き。そこを心待ちにしております。ト長調は「のだめカンタービレ」(ようやく先日テレビにて拝見)に登場していたが、いか にも彼女向け、自由奔放楽しげな作品と(以前から)考えておりました。
バロック時代から延々と続く名曲鍵盤協奏曲の行き着いた先、極致、みたいな感慨有。20世紀には魅惑の作品が多く出て、BEEやん、BRAHMSはどーも棚から取り出す気がなかなか起きない〜といったいつもの愚痴が出てしまいました。では、行ってきます。
仕事場に出るとそれなりシャキっとするものです。かなりお仕事進捗して、当面、本日迄に完了すべき宿題は終了し、若い者の印刷屋へ出すべき資料原稿を指導(説教)しておりました。四則計算(含む電脳)はかなりの力量なんだが、商品商売の本質というか、人様にアピールすべきポイント、言葉の選び方、そして出来上がりの美観に弱点がある・・・のは、経験不足なので当たり前。でも、センスというか、キラリと光るものってあるでしょうが。明らかに美的感覚の訓練が足らん。受験勉強ばかりしていたのか。服装も少々ダサいんです。若いのに。
明日の北陸方面の行事対応は、お相手担当に連絡して許していただきました。これでゆっくり週末休み。
通勤音楽は、GRIEG ピアノ協奏曲イ短調〜クラウディオ・アラウ(p)/アルチェオ・ガリエラ/フィルハーモニア管弦楽団(1957年)・・・再聴。モノラルだが音質かなり良好。遅めのテンポ、重厚で重心が低い。磐石の貫禄とはこのことか。細部まで太字の楷書。一切の曖昧さなし。指が流麗に回ることが=素晴らしい技巧ではない。
似たような時期、似たような作品、こちら仏EMI録音だが、TCHAIKOVSKY ピアノ協奏曲第1番 変ロ長調〜アルド・チッコリーニ(p)/コンスタンティン・シルヴェストリ/フランス国立放送交響楽団(1957年)・・・1951年クリュイタンスとの録音は知っていたが、こんなのもあったんですね。音質は期待(アラウ盤)ほどではない。リヒテルの剛直重厚なる演奏を聴き慣れていると、響きの明るさ、燃えるような情熱、オケの色気あるサウンドはなかなかの魅力であります。チッコリーニのピアノは柔らかく、神経質な感じではない、繊細なサウンドが魅力です。
●2011年5月某日の振り返りと後悔
ちょいと寝坊してしまい、別に少々遅れて出勤しても定時より前に職場に到着するんだが、気分的に落ち着かん〜ので、今朝の「音楽日誌」は休止。さて、お仕事整理の一日、無事クリアできるでしょうか。
朝は結局、いつもより10分遅れにて出勤。辣腕パートさんが一番乗りでした。やはりここ数日の疲れが残っていて、毎日の定例作業、昨日一昨日の報告書、の前に諸作業準備内部ミーティング(先にしておかないと、次の動きが皆できないので)、先行きのスケジュール調整、あっという間に夕方になってしまって、本日狙いの進捗80%か。明日の行事は無事ご遠慮に成功したので、一日余裕ができたんです。明後日、土曜をつぶして福井に迄出掛けます。一ヶ月先の予定が詰まってしまって、3連続出張〜ツラいなぁ、途中戻っての作業も。資料持ち込んでホテルでやるか?幸いか不幸か?震災以降、出先でメール対応可能になったし。今回の出張もずいぶんと助かりました。
早々に職場を辞去し、左膝+両肘のリハビリ、担当によっては背中、肩までちゃんと施術して下さるから助かります。まだ風邪治っていないのか。
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