麻薬貿易で財を築き、権力を手に入れたアメリカの名家・名門
新たに独立したアメリカでは、海賊行為や密輸ではそれほどの利益が得られなくなり、代わって奴隷貿易と違法麻薬の密輸が盛んになった。この二つがエリートたちに富をもたらし、アメリカエ業化時代への基盤となっていく。 一九世紀前半にアメリカ人がイギリス人と結託して作り上げた違法な麻薬貿易は、その後も果てしなく広がっていった。そしてここでも、貿易を支配するのは選ばれた家系の中枢にいる者たちだった。彼らはイギリスでもアメリカでも、メーソン細胞に組織されていた。入会のためのチケットはまず家系であり、あとはロッジのコネクションだった。
合衆国建国の父たちはほとんどが奴隷を所有していたが、これは合法的な行為だったのだから特に驚くことではない。しかし、彼らの多くが密輸業者でもあったと聞けば驚くかもしれない。合衆国のもっとも重要な銀行のいくつかは、麻薬取引、密輸、奴隷貿易、さらには海賊行為による利益で創設され、現在に至っている。ニューイングランド[New England]で確固とした保険ビジネスが生まれ繁栄したのも、アヘン貿易や奴隷貿易の船舶保険から利益を得られたからだ。
一九世紀には、北米大陸を横断する大規模な鉄道システムが築かれたが、これも違法麻薬の密輸による利益が基盤になっていた。さらにはアヘンによる莫大な資産の一部は、のちの電話・通信産業の種子も提供したのである。
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ヨーロッパのテンプル騎士団は巨大組織だったが、その中心にいたのは世襲のエリートで、彼らが組織を支配し、実りを手に入れていた。そして騎士団の消滅が伝えられて以後も、彼らは驚くべき影響力と権力を維持し続けた--ただし、つねに裏側で。
アメリカでも事情は同じで、中枢エリートの影響力は強かった。このエリート階級は、組織全体を動かしてはいたが、それはもはや神聖なキリスト教運動のためではなく(引用注:もともと、強盗や詐欺・高利貸しというのは、反キリスト的運動だと思うんですがね)、自らを富ませるためだった。 メーソン団のロッジシステムを基盤に、そこで作られるコネクションを通じて、新しい階級が形成された。 たとえばニューヨークのホランド第八ロッジ[Holland Lodge No. 8]やチャールストンのソロモンズロッジ[Solomon's Lodge]といった超有名ロッジでは、メンバーが政治や合法事業の実権を握り、そのいっぽうで汚職や、さらには暗黒社会での犯罪的な取引によって利益を享受していた。
フランクリンとセオドアの両大統領を輩出したローズヴェルト一族も、その富は麻薬取引を基盤としたものだった。アヘン密輸に関わる一族はすべてそうだが、この家系でも同族・同階級結婚が重んじられた。フランクリン・デラノ・ローズヴェルトのデラノ側[Delano family]は、一度はアヘン密輸で一財産を築き、のちにそれを失い、また麻薬取引でそれを取り戻した家系である。
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また一八代大統領のユリシーズ・S・グラント[Ulysses Simpson Grant, 1822-85]が結婚で入り込んだ一族も、ヨーロッパとアメリカにアヘン貿易のコネクションを持っていた。初期のニューヨークやニューイングランドの家系は、ハーバード[Harvard, 1636-]、イェール[Yale, 1701-]、コロンビア[Columbia, 1754-]、ブラウン[Brown, 1764-]、プリンストン[Princeton, 1746-]といった大学に気前よく資金を提供したが、これも違法な麻薬貿易で稼いだ金だった。同じ連中は、鉄道や織物工場を作り、銀行や保険会社を築き、一族の財産をそっくり次の世代へ残していった。両ローズヴェルトとグラント以外の大統領では、タフトやブッシュ親子などがイェール大学の出身だ。イェールは中国貿易からの利益で創設・資金提供された大学で、ブッシュ親子らは、同大学の異様なカルト集団と関係がある。この組織は今日でも秘密主義のエリート集団であり、二世紀前と変わらぬ権力を振るっている。
海賊を親戚に持つ大統領もいる。第一〇代大統領のジョン・タイラー「John Tyler, 1790-1862]が結婚して入り込んだ一族は、海賊による略奪品で地位を築いた家系だった。第一三代大統領のミラード・フィルモア[Millard Fillmore, 1800-74]などは、曽祖父が海賊行為で裁判にかけられている。アヘン貿易と同様に、海賊行為も、広範な認知・信用システムに依存したビジネスだった。ケープコッド[Cape Cod]、ロングアイランド[Long Island]東部からニューヨーク市[New York City]、ノースカロライナ[North Carolina]、ニューオーリンズ[New Orleans]にかけて、海賊たちは互いを信用し、避難所や法的保護、商品市場を提供してくれる有力者を教え合った。
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陸にいるときは、海賊の船長は、自分たちの取引を保護してくれる少数の権力者の監督下に入った。そうしたコネクションは、フリーメーソン団の集会所を通じて作られ、守られた。植民地総督、州知事、市長、判事などは、海賊航海に認可をあたえて投資し、その収益で一族の財産を築いていった。
海賊船は海に浮かんだロッジであり、そこでの儀式、秘密行為、血の誓いが、海賊たちをつなぐ絆となった。ただしニューヨークのホランド第八ロッジの集会では、下士官以下の者は歓迎されなかった。一七世紀、リヴィングストン家(ScL系)はここからキャプテン・キッド[William Kidd, 1645-1701, ScL系]などの海賊を支援して、成功するたびに祝杯をあげた。そしてその一〇〇年後にも、依然としてこのロッジは、ラフィットのような海賊を保護していた。
洋上で行われた犯罪は海賊行為だけではない。アメリカの各植民地は密輸によっても栄えていた。一七六八年に拿捕されて、のちにボストン茶会事件と独立戦争へのきっかけとなったリバティー号は、裕福なフリーメーソンであるジョン・ハンコック[John Hancock, 1737-93]の持ち船だった。ハンコックは片足を船主や船長のメーソンロッジに、もう片方の足を労働者向けのロッジヘ踏み入れ、ボストンの三分の一の人々に仕事を提供していた。独立の動きを加速させたのは、イギリスが、密輸業者を取り締まる法律の施行を強要したからだ。アメリカの植民地がイギリスと戦えたのは、地元の密輸業者が食料、武器、物資を供給してくれたからである。
歴史家はほとんど検証していないが、このときは、カリブ海やバミューダ海域で活躍したアメリカの密輸相手がきわめて重要な役割を果たした。
同時に、そうした密輸と公認の私掠行為を基礎として、アメリカ政界の名家・名門が数多く生まれ、今日でも権力を握り続けている。
スティーヴン・ゾラ 米国エリートの黒い履歴書 序章 血が背負うもの p12-15 より
参考
フリーメーソン人物事典(『歴史読本』臨時増刊'86-9)
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