2012年5月11日金曜日

軍事板初心者質問スレまとめ(FAQ) - 零戦



零戦の新登場時は、爆撃機の航続距離に随伴できる戦闘機というフレコミでしたが、その長大な距離の航行によって目的地に着くまでにパイロットがヘロヘロになることはなかったのですか?

例えば、ラバウルではエース級の操縦者が長距離進攻の繰り返しによる過労でばたばた撃墜されてる
いっとくが日本海軍は決戦主義、つまり零戦の長距離進攻はやるにしても一回かせいぜい二回のつもりだったんだ
だから零戦の要求仕様決定段階では作戦の繰り返しによる疲労の蓄積なんて頭の片隅にも浮かんではいなかった


零戦のカウリングについてる機関銃は、射撃時に何故、プロペラに弾が当たらないの??

何か、回転と同期させる仕組みが?

エンジンの軸に歯車かまして、機関銃の引き金のところにつけたカムを回す
プロペラが銃口の直前にきたらカムが引き金を離して発射をストップさせ、ペラが通りすぎたら再び発射する

坂井三郎氏の著書によると、ペラ打ちと言って7.7ミリがプロペラに命中する事が、たまに有った
そうです。ただし、プロペラは非常に強靱に作られていたので7.7ミリ程度では、
小さな凹みが出来る程度だったそうです。


帝國海軍零式戦闘機の色が,21型では明灰白色だったのが,後期の52型では濃緑色になった理由を教えていただけませんでしょうか.

初期の機体は、空に溶け込むように灰色。後期の機体は、飛行場を爆撃された際、敵に存在をきずかれない様に、深緑色。

(モデルアート系ライターを中心に異説がありますが、いわゆる「定説」ではありません)
人間の目は遠くのモノを見る時には白黒のコントラストしか認識できない構造になって
おりますので、空中での戦闘だけを考えるのなら明るめのグレーが一番認識しがたい色で
あることになります
最近の制空戦闘機の多くがグレー系塗装であるのも、この理由からです


零戦のOPL照準器って電動のようですが、なにが電気なんですか?

夜間暗視野装置に電気が必要だったと思う

簡単にいえば、照準用十字を照明して見えるようにする。電照ゲージというやつ。


岩本徹三は零戦を使った一撃離脱戦法を得意としたそうですが零戦で一撃離脱戦法などできるのでしょうか?

制限速度の範囲内で急降下-捕捉-射撃-余力上昇-急降下捕捉-射撃-余力上昇・・・

出来ます。

パールハーバーを攻撃した零戦って何型で何色に塗られていたんですか?

どこから発進し、どういう攻撃をして帰っていったんですか?艦船以外の攻撃目標もあったんですか?
航続距離はどのくらいあったんですか?市民を追いかけまわして機銃掃射をしたのは本当ですか?

零戦のタイプは21型
塗装はグレー
空母から発進し、攻撃機の護衛をしました
零戦の目標は敵戦闘機と基地に置いてある航空機のみです
だいいち、当時の零戦は爆弾を搭載できません
機銃による地上掃射は行ったので、一般人にも被害は出たようです
後続距離は約3000kmだったと思います
空母から発進して、ハワイ上空で1時間程度の戦闘を行うには十分です

零戦は意図的に一般人を狙ったのではない
空襲警報が出ているのに軍事目標のそばをうろうろしている一般人が攻撃に巻き込まれただけ
超低空飛行は、たぶんない
地上砲火を避けなきゃいけないから


零式艦戦どこ製ですか?

三菱ですが中島もつくっておりました。
一口に零式艦戦(零式艦上戦闘機)といってもいろいろありますが。
例えば21型とか32型とかあります。
最初の数字が機体、次のがエンジンの変遷をあらわしております。
機種表記番号とゆうのもあって、例えば21型ならA6M。
これは艦戦(A)として採用された用された六番目(6)のもので、
設計は三菱(M)が行い、初期型から数えて二番目(2)のタイプのものです。
ただ中島製(製造された)だからといって、A6N2になるのではなく、A6M2です。
Mはあくまで開発コードだからです。


映画「パールハーバー」零戦に、濃緑色塗装のものと灰色色塗装のものがあるのはなぜか?

航空ファン誌にて、飛行機を貸したプレーン・オブ・フェイム側の話として
「考証が違うのは認識しているが、「零戦らしさ」を重視するため
後期の迷彩になった」と説明してありました。

映画に使えるゼロが緑のしかなかったから。
あとはCGや偽モノのゼロも出演している。


ゼロ戦の後継機がない理由を教えてください

零戦の後継機に関しては、エンジン選定に失敗したのが原因です。

中島が開発した「誉」を海軍が推したのですが、三菱は「MK9A」を推しました。
この対立で時間を空費し、結局誉で試作したのですが、工作精度の低下で、要求性能に達せず、
改造などで試作が長いことかかり、結局、誉を捨てて、最初の構想通りMK9Aを採用することになりました。
そして、漸く生産に入ろうとしたときには、空襲と地震で後継機としては間に合いませんでした。

(16:眠い人 ◆ikaJHtf2)


ゼロ戦の機銃はライセンス生産である

こんなこと言ってた人がいるんですが事実ですか?

もともとは、スイスのエリコン社で開発されたものですね。
米軍の艦載対空機銃にスウェーデンのボフォース社のものが使われていたように、
外国で開発されたものを使うこと自体はそう珍しくはないのでは?


零戦って当時のアメリカの戦闘機P-40より性能は優れていたんですか?

格闘性能は零戦が勝っていましたし、武装も20ミリ機関砲を搭載するなど勝っていました。
また、全周方向を確認できる視界の良いキャノピー、落下増槽などの装備も優れていました。

但し、生産性の良さ、頑丈さ、速度、爆弾搭載量、性能向上の余地などの部分に於いては、P-40の方が優れています。

旋回戦を行うなら零戦が、一撃離脱ならP-40の方が有利でしょうね。事実、中国戦線では互角に戦っていましたから。

(17:眠い人 ◆ikaJHtf2)


坂井三郎著「零戦の真実」「撃墜王」の2冊を読んだのですが、

両者の機関砲(銃)に対する考え方にかなり違いがあるのか、前者では7.7ミリ機銃後者では20ミリ機関砲を、重視(好んで使った?)ように見受けられました。
この辺りの違いは、何に拠っているのでしょうか


なぜアステカでは、沼地に都市を建設した

機銃の性能が違う。
坂井さんだって20ミリ使いたかっただろうが、初速が遅くて当てにくい(99式20ミリ1号で600m/s)
弾数が少ない、だから専ら7.7を使ったんでしょう。
一方クロステルマンの方は、テンペストで言えばHispano Mk.II機銃の場合で初速880m/s 各銃200発。
この差は大きいでしょう。

二次大戦当時、
7.7mm 機体を打ち抜く事はできるが、相手を落とそうとするならパイロットかエンジン
    に命中させなければならない。携行弾数は多く、無駄弾も可(相手を牽制する時等)
20mm 弾内に炸薬が有り、あたれば大穴を開ける事も。反面、携行弾数は少ない。
    零戦は(初期には)搭乗員に「ションベンカーヴ」と言われる程初速が遅い。
    さらにGがかかっている時とかは弾自体がでない事迄あった。

 坂井さんは信頼性と、自分の射撃の腕前から、そういう風に仰ったのでしょう。


零戦の機銃のトリガーってどこについてますか?

海軍のトリガーはスロットルに付いてます。 操縦桿についてるのは陸軍。

世界的にみて大体操縦桿にトリガーは付いてるのになぜ帝国海軍だけ
スロットルについてるのかは不明だ。


零戦のエンジンはフライホイールが切り離せたのか?

手でフライホイールをガショガシュまわして溜めたエネルギーで
エンジンを起動するため切り離せます


右の翼の付け根付近にある空気取り入れ口って何のためにあるのですか?

座席への空気取り入れ口。
気化したガソリンが座席内に充満しない様にしてあったと思う。
風防を空けても座席内には意外と風は入ってこない。
乗ったこと無いけど。
少し違うが、車の窓を前1コだけ開けるのと、前後共開けるのと
では風の流入量が全然変わる、みたいな感じかな。


ゼロ戦とかの昔の戦闘機についてた20mm機銃ってやっきょう出るんですか?

で、当時の戦闘機は発射後の薬莢は機外に捨てるのが一般的です
零戦の場合は主翼下面に薬莢排出口が開いております


零戦の得意技左捻りについて質問します。

なぜ左捻りなのでしょうか右ではだめなのでしょうか

ペラの回転方向に関係するらしいです。
実際に、右と左では回転半径が全然違うらしいです。

(38:フェチ ◆77XB6/ug)

補足。プロペラ機は常にプロペラの回転方向へ機首を向けようとする力がかかっている。
ヘリコプターがテールローターがないと自転しはじめるのと同じ。
双発機だと、左右のプロペラ回転方向を逆にすることも多い。

単発機だと、プロペラの回転方向が左なら、左へ向こうとする力がかかる。
それでは操縦しにくくて仕方ないので、トリムで調整する。
簡単に言うと、あらかじめ舵をわずかに逆に切った状態でセットしておいて、
エンジンの回転トルクを中和しておくわけだ。>トリム
新品の飛行機はまずトリム調整をとらないといけない。これがうまくいくと、
のりやすい機体になるという。>職人技
ジェット機は機体の外でまわる大質量の物体がないから、トリムはプロペラ機ほど大きくはとらないよ。


零戦、20mmみたいなしょんべん玉を積まずに、翼内に7.7mmを翼に各2もしくは3積んだほうがよかったんとちゃうんでしょうか

7.7だけだと防弾の充実した米戦や重爆はキツイ


零戦って名機なんでしょうか?

就役当初は世界で唯一の長距離護衛戦闘機として運用できましたが何か。
運動能力も当時の性能としてはトップクラスでした。


零戦に関することなんですが、よく工場から出荷時に牛車で引いて飛行場まで運んだとの記述を見かけるのですが?

これは三菱製、中島製をとわずなのでしょうか?
またそんな事をしなくても工場敷地内に滑走路を、用意しておけば、機体、エンジンの慣らしが終わった段階で部隊へそのまま納品でき
ると思うのですがしなかったのは何か理由があるのでしょうか?

牛車を用いたのは三菱の工場だけです。
中島の工場はクルップとかライトの工場を参考に造られています。
ドイツなどでは、防空上の理由で、工場を秘匿することを最優先として、隣接する場所に
滑走路は無く、完成機は最終組立所まで鉄道で運ばれ、組立て、試験し、前線に送って
います。

(369:312,眠い人 ◆gQikaJHtf2)


零戦21とか52とかっていうじゃないですか。これの10の位は機体の改良、1の位はエンジンの改良って聞きましたが、ホントですか?

当初は、1926年2月23日に採用された、「兵器名称付与基準」に基づき、大きな改修については、「號」で、「型」で小改修、
用途変更を示していました。
例えば、零式艦上戦闘機は、零式一號艦上戦闘機二型とかになります。
「號」は、機種名の前、「型」は機種名の後とされ、数字は日本数字を使うという指定がありました。

1942年頃から簡略化され、10位が機体の改修を、1位が発動機の改修を示す様に改められ、武装変更などの細かい改修
をした場合は、甲、乙、丙…を用いるようになっています。
で、先の零式一號艦上戦闘機二型は、零式艦上戦闘機一二型となります。

発動機は1938年5月23日に、「航空発動機ノ名称竝ニ製造番号付與様式」が定められ、漢字名で種別、形式名と
なりました。
例えば、栄の場合は榮発動機一二型となります。
最初の一桁目の数字は、重要な構造の相違、残りの一桁目の数字はその他の構造の変更を示していました。
また、試作中の制式発動機の場合は、形式を示す数字の後に「改」が付き、改修の順番に一、二と番号が振られて
いきました。

(185:眠い人 ◆gQikaJHtf2)

零戦は軽量化の為に防弾が皆無だったそうですが、開き直ってもっと重量をへらすことはできなかったのでしょうか?

そうすれば運動性は更に向上したのではないのでしょうか?

もとからギリギリでした
だって飛行テストで急降下したら主翼もげて空中分解したんですよ
あれ以上軽量化(それこそ肉抜きと言うべき)してたらまともに飛行できないでしょう
急降下以前に普通に高速飛行してるだけで主翼がグワングワン歪んでますし


大恐慌文化の多様性

ゼロ戦は多くの日本人が信じてるような革命的な伝説の戦闘機ではないことが最近の研究で明白になりました
エンジンは劣化コピーをツインにしたもの
プロペラはライセンス品の無断使用なうえに戦後アメリカに「え?あんな古いのずっと使ってたの???
可哀想だからライセンス料払わなくてもいいよ・・・」と言われる様な代物
主翼は20mm機関砲撃つと折れそうになる
その20mm機関砲は初速も威力もションベン
ロクに動いたことの無い無線機(しかも終戦まで直せなくて近代的なな編隊飛行ができなかった)

他にも航続距離とかツッコミどころいろいろありますがジークが可哀想なのでやめときます

あ、そうそう米軍パイロットは初登場時ゼロ戦のあまりの強さに戦うなと命令されたという話ですけど、
当時は新型機との交戦は避けるのは常識だったそうで別にゼロ戦だけの特別な話じゃないそうですよ

速度の遅い零戦や隼はP51やF6F後ろを取られたら、どうやって離脱していたんですか?

最大速度で劣るとは言っても、敵味方とも常に最大速度で飛行している訳ではないので。
適切なタイミングで急降下する、雲を利用する、僚機に援護してもらう等。

ゼロ戦は、7.7ミリと射程の違う当たらない20ミリ積まないで7.7ミリ6丁か12.7ミリ4丁にすべきだったのでは?

なぜ拘ったのかというと、一発の威力が大きいからです
もともと(20ミリ機銃に限らず、旧軍全般の傾向として)兵器の命中率の悪さは技量で補えという見方も強くありましたし
もし7.7ミリや12.7ミリにしてても、米軍機の防弾性は高いんで容易には落ちなかっただろう
という分析意見も出ています

零戦の13mmは敵のブローニングM2をコピーして、オチキス系の13.2mm弾を使えるようにしたものだけどね。
同じM2のデッドコピーである陸軍のホ-103より強力。
朝鮮戦争でMiG15と戦ったF86パイロットのインタビューではM2だと威力不足で、敵の23mmの方がいいと言ってたな。
フライトシムだと至近距離から20mm当てた方が全然よかったけど、軍板でシム云々言うと荒れそうだな。

坂井三郎の有名な体験談に7.7mmつかえねーって話もあるんだよな。
零銭でグラマンの後ろ取って操縦席めがけて7.7mmを弾がなくなるまで撃ち込んだけど防弾板を貫通できなかったと。
坂井はそれでも工夫すればパイロット殺して勝つる、角度とか、みたいなこと言ってるけど現実にはなかなかそう理想通りにはいかないわけで
もちろん20mmは弾道性能悪いから、13mmが優れ取るというのは反対しない。
特に防弾装備を捨ててる日本機は戦闘機だろうと爆撃機だろうとバタバタ落とせるから米機の12.7mm多連装が有効だった
一方日独は連合軍の重爆撃機や空飛ぶ黒死病を落とさんといけんので20mm、30mm、あるいはそれ以上が必要と
以上が通説と言っていい見かたかな

(517:モッティ ◆uSDglizB3o)

ゼロ戦はどうして米軍を見習って、13mm機銃等の小口径を6門とか4門とかの多数装備の機体にしなかったんでしょうか?

1944年4月に完成した零戦52乙には三式13mm機銃が搭載されてる。
逆に言うと、十分な性能の13mm機銃が(海軍機向けに)登場するのにそれだけの時間がかかった。
まあ、陸軍にはホ-103があったんだが、
こいつは米爆撃機相手には威力不足といわれて大口径砲への移行が図られてる。

あと、52乙以降でも13mmの搭載数は1~3門。
12.7mm6門は重量が結構重い(エリコン20mmが口径のわりに軽量なので比較には不適かもしれないが)ので
エンジンが非力なゼロ戦で6門も積んでたら劣化ワイルドキャットにしかならない可能性も高い。
ワイルドキャットは12.7mm4門では火力不足と言われ、
6門搭載するタイプが開発されたが今度は動きが鈍重すぎると批判された。
結局大馬力エンジンで武装重量問題を解決できるヘルキャットが登場するまですったもんだしてたことになる。

ちなみにいうとアメリカとて12.7mmが至高と考えていたわけでもなく、
20mmや37mmなんかを開発したりして試行錯誤してるが、結局戦争中には実を結ばなかった。


零戦など大戦期の日本の航空機は、ことごとくエンジンの馬力が低かったようですが、それはなぜでしょう?

工作機械が貧弱だったとかはよく聞くのですが、それにしてはあまりに差が開いている気がします。
エンジン開発者が無能だったのか、それとも工作機械がそれほど貧弱だったのか、根本的な構造が米国のエンジンと違ったのか……

終戦後の米軍がテストしたときに、点火プラグと高オクタンの燃料を使用してるので、
ますそれが、1つ。
大戦中の日本のエンジンは、元が外国のライセンス品からの発展系なので、オリジナルの発展系に比べて
発展の世代が遅れてたのが1つ。
エンジンの部品にレアメタルが使えず、性能的な制限が加わってたのが1つ。
さいごに上記の3つにより、馬力上の不利があるので、それを空力でカバーするため、極端な小型化を
設計に要求して、工作精度が追いつかないものを設計し、製作に走ったのが原因。

エンジン開発には試行錯誤が付き物だが
日本は技術蓄積が乏しく、試行錯誤から前に進むことが困難だった。
エンジン設計して、その試作品が出来上がるまで時間がかかり
そこから試行錯誤を繰り返すが、材質や条件を変えた交換品を作るのにまた時間がかかり
その間にも、軽金属の使用量を減らせといった指示があり、その検討に時間が掛かり
高高度性能上げるための過給機を取り付けた場合の検討を行い
といった状況で、アメリカみたいに確実に設計経験を積んでいく ということが困難だった

戦争前は先進国から情報が入ってきたので、無駄な試行錯誤はあまりしなくてすんだのだが
それができなくなると、技術層の薄い日本では開発者が過負荷状態になってしまった。
何人かは、低栄養とあいまって過労死や病気になってしまった。

零戦に爆撃機のエンジンをブッこめば良かったんじゃね?

実際に金星(零戦が搭載した栄よりも大きなエンジンで、爆撃機に多用されていた)を
零戦に搭載した試作機も出来てるが実用化にはいたらなかった。更に大きなエンジンとして
火星もあるにはあったがサイズの差が大きすぎるエンジンの搭載で機体構造の強化とか
バランスの変化とか、やったとしても到底物にはならなかったと思われる。

零戦爆戦が使われたのは、爆撃機が足りないからですか?

それとも他の理由がありますか?


大恐慌時のオーストラリアでの生活

改装空母から、彗星が離陸できなかったのと、99艦爆が、旧式化して、
99式艦桶といわれるようになったので、爆装しても少しはましな零戦で
爆撃して爆撃後は戦闘機として使おうと使われた。

零戦の20mm機関銃ってだいたい何発くらいで敵機を撃ち落とせますか?

海軍のエースだった坂井三郎氏の著書に、
「20mm弾の威力がどのぐらいか試したいと思い、単機で飛行中のP-39の後ろから
忍び寄って撃ってみたことがある。1発だけ撃つつもりだったが、2発出てしまった。
当たり所がよかったのか、P-39は一瞬で吹っ飛んだ」
という記述があったのを憶えています。

疾風では実用化された2000馬力のエンジンや燃料タンクの防弾ゴムがなぜ零戦では出来なかったのでしょうか?

零戦の設計者、堀越二郎氏の著書を読むと、よく「2000馬力のエンジンを使えなかった」
「燃料タンクに防弾ゴムを貼れなかった」とありますが、両方とも陸軍の疾風では実用化された装備なのですが、

エンジンについては開発時に適当な2000馬力級が存在しなかった。
もともと1000馬力級のエンジンで設計された機体なので、
あとで2000馬力級が出てきてもおいそれとは搭載できない。
機体も一から作ったほうがいい。

燃料タンクに関しては、四式戦に限らず、時期的に近い一式戦でもゴム張りになってるのはたしか。
第一に言われるのは、発注した陸軍と海軍の要求仕様の違い。
つまり、零戦についてないのは、海軍が特に要求しなかったからと。

第二に言われるのは、十分なゴム加工技術が「日本に」なかったから。燃料に溶けちゃうの。
そこで一式戦はゴムをタンク外側に取り付けており、三菱でも一式陸攻は外張りで付けてる。
後に零戦も、外張りが可能だった胴体タンクにはゴムを追加してる。
四式戦の頃には、なんとか内張りに耐えうる技術が出来た。
海軍機でも使う例が出て、零戦にも試験的に用いられた。

一般のアメリカ国民は零戦のことを知る機会があったのでしょうか?

零戦が太平洋で無敵だった頃、米国議会で「ゼロファイターへの対処法」が質問されたり
現地の大衆小説で「あの女はゼロ並みに手強い」などといった記述もされたと聞きましたが

うろ覚えで申し訳ないが、当時の一般向け科学雑誌にも、
目撃情報から再現した三面図が掲載されていたぐらいだから、
軍当局がある程度の情報を公開し、それを知る機会はあったものと思う。

零戦のエンジンを栄に決定したのは誰なのでしょうか?

堀越技師が決めたという話と海軍からの要求で金星をあきらめて栄にしたという話の両方があり、真相を知りたいです。

両方とも間違いだ
堀越は十二試艦戦のエンジンとして金星を望んだが、機体の大型化を嫌う操縦者(海軍側の担当官)の意向を汲んで瑞星に変更
試作作業中に海軍から栄の情報がもたらされ、悩んだあげくエンジン換装を決断した

ゼロ戦は米英の様々な技術をパクって作られたと聞いたのですが、実際の所どうだったのでしょうか?

特にドイツからの技術供与が参考になってます。

そりゃ川崎とか愛知とかだろ。しかも供与じゃなくて金払って技術者よんでるし。
三菱も甲式四型戦闘機の後継機戦試時に作水冷エンジン関連で指導受けてるが、零戦関係ねえし。

堀越二郎の本を読めば、金属強度の限界で分厚い主翼にならざる得なかった七試単戦でどんだけ
悔しい思いをしたかが判ると思うんだけど。


日本がジュラルミンを作れるようになったのは1929年ごろ。住友金属がジュラルミン製のカバンをあ
ちこちに配って宣伝していた。

このジュラルミンだが、少なくともWWIまではドイツ以外は作れなかった。海軍を造機中将で退役した
石川登喜治は、WWI真っ只中のイギリス留学中に、墜落したツェッペリン飛行船の調査に同行し、サ
ンプルを入手、日本に送るが日本ではこれと同じものをつくることができなかった。

戦後、海軍は技術供与はできないが製品は納入するというドイツのメーカーと契約、石川を含む14名
がドイツの工場に派遣された。このときに鍛造だの温度だのという冶金や加工の核心を、日本にドイツ
の工場にある設備と同じものを用意し、見聞きしたことを電報で伝え、追試できなければ何が悪いのか
とまた探ると言う非常な手間をかけて手に入れた。まあ、それでも七試単戦ではアレだったんだけど。

とにかく、ドイツ企業との関係のなかでようやくジュラルミンの作り方を知った日本は、その後、独自に改
良を加え、超ジュラルミンを九試艦戦で、そして超超ジュラルミンを十二試艦戦で使えることになる。ドイ
ツ経由のジュラルミンが無ければ零戦そのものが存在しないわけだ。これが10年くらいの間での話だか
ら、ドイツ企業が日本海軍の話を蹴っていたりもたついていたりすると、日本製航空機というのは強度の
低い金属を構造材としたまま戦争に突入するかもしれなかったわけで。
ドイツから技術を入手できたのはギリギリだったし、幸運とも言ってよいのでは?


爆装零戦は99艦爆と比較して爆撃精度や敵戦闘機や対空砲火での生存率で上回っているものなのですか?

99式艦爆が旧式化し99式棺桶といわれるようになったので、
その代わり。
メリットは、敵戦闘機と接触した場合、爆弾を切り離せば
戦闘機として使えることのみ

補足。
爆装零戦(爆戦)が登場した背景として、正規空母が軒並みやられて小型・低速の改装空母ばかりになってしまい、
それらの空母の短い飛行甲板と速度では着速などの関係で艦爆の運用が困難になったという面もある。

坂井三郎氏はゼロ戦で20mmではなく弾道特性がよい7.7mmで撃墜スコアを稼いだといいますが、強装甲の米軍機が7.7mmで堕ちるものですかね???

基本的に7.7mmを装備した場合は操縦主を狙う
日本軍の7.7mmは狙撃銃と呼ばれたくらいに無駄に命中率が高かったので、それが可能だった

20mmではなく、イギリス機みたいに大量に7.7mmを翼内に搭載した方がマシだったんでしょうか?
それとも高性能だった7.7mmを、そのままスケールアップできなかったんでしょうかね?

操縦手を狙う、またはコクピットを狙うって、難度が高いから、よほどベテランじゃなきゃ難しい。
しかも大型機相手だと、そもそも操縦手が二人居るから難易度は更に上がる。
日本どころか、当のイギリスだってスピットに20mm装備してる。


7.7mmのスケールアップが簡単だったら、どこの空軍も苦労しない。
つか、実際に7.7mmをスケールアップして成功した機関銃って、
陸上兵器を含めて聞いたことがない気がするんだが。

零戦には主翼を折り畳める機能はありませんか?

ゼロ戦にも翼端折りたたみ機能があります。21・22型のみですが。
格納庫や甲板に並べたときに邪魔にならないとか、エレベータを通るのが
楽になるとかいうのが主目的なので、空戦の優劣には関係有りません。
むしろ重量や強度の点でデメリットになることもあります。

零戦側は米軍機に対しフォーメーション組まなかったんですか?

「ゼロ相手で一対一では負ける、だが組を作り互いに補うように戦えば5機でも10機でも相手に出来る」
ってアメリカ空軍の教官が言ってたって書いてあったんですが

日本側も3機一組のフォーメーションを組んでたけどもこのフォーメーションを
生かすには、3機ともそれなりの技量が必要だった。
戦争が進むと3機のうち1機もしくは2機が素人同然の
搭乗員しか割り当てることができなく、そういうのから集中的に
狙われ、損害が、増し、ベテランが育たなくなった。
アメリカやドイツが採用した、2機一組だと、戦技においての多彩さはおとるが、
技量の劣るやつにはとにかく、前の機体についていけと指示しておくだけで生き残る
可能性があがり、しいては場数が踏め、ベテランが育つ。
航空戦にかんしては,落ち着いたベテランが場を掻き回すだけで
素人の集団だと鴨どうぜんになる。

零式戦闘機が中高度だとなかなかの性能なのに高々度だととたんに駄目になっちゃうのはなんで?

空気を取り込めないから?

ゼロ戦の場合、エンジンに排気タービン(ターボ)が装備されてないので、
航空の希薄な空気の取り込み量が不足して、エンジンが不完全燃焼状態になり、
馬力が出ないから。

レシプロ(乱暴に言うと昔のプロペラ機)の時代は、ターボチャージャ-がなければ
一定以上の高度に上がると空気が薄くなる=酸素が少なくなる のでエンジンがちゃんと
回らなくなる。酸素が足りなくて満足な燃焼が起きないので、回転数が上がらなく
なるから。

すでに出てる回答を補足というか修正しておくと、「エンジンに送る空気の密度を上げる」ために
取り込んだ空気を圧縮する装置を「過給機(スーパーチャージャー)」と呼ぶ。

歯車を使ってコンプレッサーを動かして圧縮するものを「メカニカルスーパーチャージャー」、
エンジンの排気を利用してタービンを回して圧縮するものを「エキゾーストタービンスーパーチャージャー」
といい、前者は単に「スーパーチャージャー」、後者は「ターボチャージャー」と呼ばれるのが一般的。

零戦の場合、11型、21型には、1段1速、32型以降には、
1段2速のスーパーチャージャーは搭載されてる。

零戦のお値段は?

零戦(堀越 奥宮) 616ページによると零戦の機体価格は約5万5千円
完備価格(エンジン、プロペラ、車輪、兵器、装備品)を含めるとその2倍弱と見て
よいだろう(同617ページ)

したがって、零戦は11万円弱(機関砲を含む)

零戦は極度に軽量化されてるため改良で少し重量が増したらあちこちを強化せねばならず、発展性がなかったと聞きますが

どこまでが正しいのですか?

頭に「1000馬力級エンジンを極限まで生かすため」を入れれば
ぜんぶ正しい

F4Fが防弾を施して重量増は確か60kgと記憶してます。それを零戦に施せば性能がガタ落ちするようなものなんですか?

昔零戦は無敵じゃないスレで四式戦くらいの防弾ほどこしたら
どうなるかって試算(といっても重量だけだけど)をしてたけど
その時も+60~80キロって数字になっていた

重量だけなら人一人分増えるだけだけど、それだけで一応防弾がない状態で
完成形態の零戦のバランスが崩れてめんどくさい事になるのは目に見えている

80kgの重量増加を支える構造材の強化がさらに重量増加と強化を生む。
始めに軽く作ったもんに重しを載せるのはそう言うもんだべ。

零戦てエンジンを外部から始動するみたいだけど出撃のときは搭乗員と共に整備員も始動機材を持って列線に走っていくの?

整備員がいないと機体は離陸もままならず搭乗員ごと地上撃破される?

基本的にはその通りです。
ただ、搭乗員と整備員の待機所は違うので、整備員の方がより列線に
近いのが普通です。
警報が事前に入った場合のように整備員は機体下で待機、搭乗員はピットで
待機の場合もあります。

戦中ゼロセンという呼び方はなく、広まったのは戦後だと聞きましたが、

米軍の『ゼロファイター』という呼称と『れい戦』が混ざって定着したせいだ」とありました。

初めのうちは「れいせん」
開戦時ぐらいからパイロットは「れいせん」だがその他の部署の人は「ぜろせん」
で、だんだん「ぜろせん」が主流になっていったらしい
渡辺洋二の「零戦戦史」とかなんとかいう本に詳しいぞ

昭和18年以降は「ぜろせん」が海軍内では一般的
一般人が「零戦」つー名前を知ったのはたしか昭和20年初めの新聞で(同盟
通信の配信)、朝日には「ぜろせん」とルビが振ってあったらしい

零戦をアメリカは鹵獲して試験したんですよね?そのとき機関砲の性能に関してコメントはなかったんでしょうか?

米軍はアリューシャンで鹵獲した零戦21型を研究し、武装に関しては
.50ブラウニング機銃を多数搭載することで優位に立てると判断し、
グラマンF6Fなどを送り出した。

零戦のメリットは

高揚力による航続距離、低速度での機動性にあり、高速度になるとドラッグが増してかなわんのだが、
当時はそんな高速でなかったからOK、という認識でいいんでしょうか?

概念的には低速と旋回に有利な低翼面荷重の格闘戦闘機で、イタリアで複葉戦闘機が残ってたのと
同じ理由でパイロットにうけた。
戦闘機の傾向としては誘導抗力は速度の2乗で減じアスペクト比に
反比例するが形状抗力は速度の2乗に比例し翼面積に比例するので
低速機ほどアスペクト比を重視し高速機では翼面積を小さくしたがる。



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