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2012年4月4日水曜日
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2012年4月3日火曜日
音楽日誌2011年5月(日々の振り返りと後悔)【♪ KechiKechi Classics ♪】
●2011年5月某日の振り返りと後悔
すっかり体調は快復し、終日諸作業に追われ、若い者の印刷屋出稿(一週間遅れ)やり直しをラスト迄(手取り足取り指導)付き合ってド・残業。更におとなりチームの責任者と酒、そちら3年、こちら4年目、もうエエでしょ、元気の良い行動力ある上司(10歳下)+(なんでもできる)ヴェテラン番頭二人、盤石の体制だが、若い者が息詰まるだろうし、次がいつまでも育たない。サラリーマンは自分のお仕事は選べぬ、というのが基本だが、意志とアピールは必要だとの話題でした。ワタシは閑職でなければどこでもよろしいんです。帰宅は11時半頃、ちゃんと駅から歩きましたよ、16分ほどだが。
通勤音楽は、MAHLER 交響曲「大地の歌」〜ピエール・ブーレーズ/ウィーン・フィル/ウルマーナ(ms)/シャーデ(t)(1999年)・・・この録音前後、FMライヴを拝聴して愕然とした記憶有。ずいぶん旧い記事だが、言い回しは慎重であって、10年を経て正規録音確認したということですよ。既にエア・チェックMD処分済み、ライヴがどんな演奏だったが確認しようもないが、この間のパターンと変わりはない。音量は大きくないのに、細部迄見通しがよろしい、ほとんど浪漫の残滓を一掃して素っ気ないほど無駄を削ぎ落とし、ムリのない表現+緻密クールなアンサンブル。結論的にブーレーズが指揮するとオケの個性が素直に、というか鮮明に表出するということですよ。歌い手は若々しく、かつての巨匠時代の個性とは違った鮮度がありました。(但し、ヴィオレ� �タ・ウルマーナの独逸語ってなんかヘン?もちろん門外漢ド・シロウトの直感だが)
新時代の、美しいMAHLERといった手応え充分。響きは濁らず、洗練されておりました。
呑んだ次の日はたいていお仕事快調。ボンヤリしたほうが雑念が入らないからか、それとも明日の余裕を見越して呑みにいっているのか?先週出張時にいただいた宿題に悩んでいたが、本日一気に形が出来、資料完成、内部にも取引先にも送付できました。もちろん上司にも報告済。毎日の諸作業様々こなした(つもり)だが、夕方にはほとんど忘れました。そんな日常也。明日より次月の作業サイクル開始。(それに所詮机仕事、トラブル処理もないし、ずっと職場ネット環境を利用して音源データ・ダウンロードしておりました)早々に帰宅。ゆっくりしております。
本日の通勤音楽は思わぬ収穫有。SAINT-SAE"NS 交響曲第3番ハ短調(1976年)/ピアノ協奏曲第4番ハ短調(ロベール・カサドゥシュ(p)1961年)/序奏とロンド・カプリチオーソ(ジノ・フランチェスカッティ(v)1964年)〜レナード・バーンスタイン/ニューヨーク・フィルハーモニック・・・数ヶ月前に一度(交響曲のみ)聴いていて、全然あかん、違和感ばかり、といった感想だったんだが、久々の拝聴に印象一変。かなり粘着質、重く、深い演奏であって、1960年前後の粗っぽい推進力を想像すると少々様子が違っております。既にブーレーズ時代、アンサンブルの仕上げはかなりていねい、オケは快調、各パート(管楽器)も上手いもの。オルガンは別録りかな?よく分離して聞こえます。華やかな仏蘭西系演奏を期待すると、かなり方向性は違っておりました。かなり重厚な、ある意味古� ��的な作風を強調したもの。
ラスト大爆発も悪くないじゃないか!・・・すると、ほの暗い落ち着いた旋律が〜やがてしっとりとピアノが参入いたしました。なんせ、通勤前、えいやっ、とCDプレーヤーに仕込んでいくので詳細内容は覚えていないんです。何番だっけ?と帰り考えながらたっぷり愉しんでおりました。瑞々しいタッチ、美しい音色だ。最終盤に至ってミッキーマウスのテーマ(風旋律)が楽しげ、ユーモラスに歌われます。帰宅して演奏者、そして第4番ハ短調であることを確認したが、こんな名曲だったんですね。第2番ト短調もルービンシュタイン/ミトロプーロス(1952年)にて初めて作品に目覚めたものです。フランチェスカッティの明るいヴィヴラートはお馴染みでした。
油断していると、あっという間に5月終了・・・のような、GWが遠い昔のような・・・不思議な感覚。
●2011年5月某日の振り返りと後悔
台風通過。東日本はこれからだろうし、西日本も地盤が緩くなっているんじゃないか。じつは昨日、ちょっぴり右腰上部に痛みが〜今朝、4時頃かなりの痛みに目覚め(おそらく)尿路結石の発作と診立てました。9年ぶり。かつての七転八倒、座薬入れても飯も喰えぬほどの激痛症状に非ず、石は小さいなと類推、一時間半ほどで治まりました。きっと然るべき位置にまで動いたのでしょう。命に別状なしとは言え、この痛みは並のもんじゃない、それが怖くて座薬を冷蔵庫と出張カバンに常備しておりました。でもね、さすがに10年経過、先月捨てたところだったんです。まいりました。即軽快してよかった。生き返ったみたい。月曜は休みにくいんです。この症状は通院してもなすべきことは決まっているし。但し、前回はじつは胆石で あった〜手術に至ったが、あれとは症状が全然違う。
BACH カンタータ第140番「目覚めよと呼ぶ声が聞こえ」/第147番「心と口と行いと生活で」〜ジョン・エリオット・ガーディナー/イングリッシュ・バロック・ソロイスツ(1990年)・・・全集完成ならなかったARCHIV録音。先週、別な作品にて、油脂分抜けすぎと聴いたが、レーベル変わっても印象変わらず。もしかして我が貧者のオーディオ(人民中国製極小サイズ・ディジタル・アンプ)との相性問題か。お気に入り作品だったのに、なんかぴん!と来ないんだな。体調問題か、リューシンク盤に戻らなくては。
では、雨の中、行ってきます。昼からは上がるらしい。
●2011年5月某日の振り返りと後悔
いつまでも洗濯物が乾かぬ湿っぽい日が続きます。梅雨に入ったそうな。台風も接近していて、うすら寒い天候に精神(こころ)も体調もどんよりしております。兄のところの孫の写真が両親より転送され、まだ小さく、弱々しいが、希望の命を見ていると元気出ます。可愛らしい女の子。息子にも転送しておきました。
MAHLER 交響曲第5番 嬰ハ短調〜ジョナサン・ノット/バンベルク交響楽団(2003年)・・・カイルベルト時代の記憶を辿れば、洗練とアンサンブルの精緻に時代の変遷を感じます。技術的な向上と引き替えに、独逸ローカル融通の利かぬ頑固サウンドも消えてしまったような?ノスタルジーか。中庸、クリアであり、コントロールに優れ・・・結果的に日常化してしまった"上手い"MAHLER。この作品に対峙することが大事(おおごと)であった時代は過ぎ去りました。優秀録音に間違いないんだが、それが?といった感じ。熱血バーンスタインやら(全然別な意味で完成度の高い/正規盤全集入手済)ショルティとか、遙か別の時代の産物に思えるほど。(再聴必要)テイスト方向としては、要らぬ力みが抜けたブーレーズを連想させます。
MAHLER 交響曲第9番ニ長調〜アラン・ギルバート/ロイヤル・ストックホルム・フィル(2008年)・・・いまやニューヨーク・フィルのシェフである半分日本人(母親はバイオリニスト建部洋子さん/五嶋姉弟の先生)は40歳代気力体力充実している世代。これは知情意バランスとの取れた、スケール大きい演奏と聴きました。この作品に必須の人生の諦念、苦味がちゃんと行間から溢れ出、たんなる"上手い"MAHLERに非ず。テンポは体感やや遅め、ストックホルム・フィルの充実した芯をしっかり感じさせるサウンドもお見事、前時代的身をよじるような難行苦行系ではないけれど、さっぱりこだわりのない演奏でもない。色気はちゃんとありますよ。
ニューヨーク・フィルならこの作品をちゃんと振れないと話しにならん、ということか。
もの凄い雨、風だし、本人は体調不良ということもあるけれど、いつもの引き籠もり休日也。自主CD一杯作っていたのと+HD容量を空けるためダウンロードした音源をDVDにせっせと焼いておりました。なんて暗い、内向きの趣味なんだ・・・
SCHUMANN ピアノ協奏曲イ短調〜スヴァトスラフ・リヒテル(p)/ジョルジュ・ジョルジェスク/ソヴィエト国立交響楽団(1958年ライヴ)・・・リヒテルには数種の録音が存在して、当然音質状態のよろしいもの、バックが整ったものを優先して聴くのがよろしいでしょう(マタチッチとの1974年録音など)。これも好事家の世界也。期待しないで聴き始めたが、これが意外とよろしい。かなり良心的なモノラル録音、ルーマニア往年の巨匠ジョルジュ・ジョルジェスク(1887〜1964)が客演した時の記録は、燃えるような情熱+テクニックのキレ味充分。聴き応えありますよ。オケはオーボエの音色などかなり違和感があって、ドロ臭い感じ。時にこんな出会いがあるから油断できん。
なんかだらだらした(いつもの)休日でした。
●2011年5月某日の振り返りと後悔
精神が緩み切っているのか?体調どんより状態継続。台風来ているそうですね。例えば、処理作業中の福島原発に暴風雨直撃したらどうなるのだろうか。あれは10年のスパンのケリになるのだろうな、きっと。これからの政策、節電問題さておき、たった今現地にて劣悪環境で働いている労働者の労苦は計り知れません。毎日、やりきれんだろうな。ご近所に酒場もないし。
BOCCHERINI チェロ協奏曲第2番ニ長調/VIVALDI チェロ協奏曲ハ長調 RV398/ト長調 RV413/TARTINI チェロ協奏曲イ長調〜ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(vc)/パウル・ザッヒャー/チューリヒ・コレギウム・ムジクム(1977年)・・・パウル・ザッヒャー(またはザッハー1906-1999年)はスイスの指揮者であり作曲家、彼のために多くの著名な作曲家が曲を捧げておりました。例えばSTRAVINSKYの「バーゼル協奏曲」、R.STRAUSSの「メタモルフォーゼン」、BARTOKの「弦、打楽器、チェレスタのための音楽」「弦楽のためのディヴェルティメント」、他びっくりするくらいの物量有。このバロック音楽は、いつものようにヴィヴィッド、かつなまなましい官能チェロ+充実したバックに支えられて、スケールの大きな演奏であります。つまり、ロストロポーヴィチの雄弁は作品が変わっても、いつも通りということです。これでエエのか。
問題は「BOCCHERINI チェロ協奏曲第2番ニ長調」でして、このCD情報あちこちネットで検索しても全部そうなっている・・・BOCCHERINIのチェロ協奏曲集は代表作だけど、第2番はイ長調(G.475)でっせ。もちろん別の作品。番号付けは通称だからいろいろあるのか、実際に収録されるのは第6番ニ長調G.479也。DGが最初に出した時のミスがそのままずっと残って再発されているのかも、と類推いたします。(BBSにて情報有。作曲者作の目録、出版時、およピコー(サンフォア補筆)の旧目録では第2番となっていた、とのこと)
蛇足ながら、フィル・アップはSCHUMANNのチェロ協奏曲イ短調(1960年)。他でダブっているから聴いていないが、あまり配慮ある組み合わせとは思えぬ・・・。 Glenn Gould in Concert (1951-1960)CD6枚組より、SCHO"HNBERG 3つのピアノ小品 作品11(1952年10月4日、トロント)/「架空庭園の書」作品15(ケルスティン・マイヤー(ms)1960年8月2日、ヴァンクーヴァー)/ピアノ組曲 作品25(1952年10月4日、トロント)/WEBERN 変奏曲集 作品27(1957年5月19日、レニングラード)/KRENEK ピアノ・ソナタ第3番 Op.92-4(1957年5月19日、レニングラード)〜グレン・グールド(p)・・・こんな難解かつ素っ気ない作品が粛々と胸に染みるのは、体調精神状況どこかおかしいのか。しかも、余り状態よろしからぬライヴ(放送録音?)時にテープの劣化によると類推される音の揺れもあります。ま、若いころから何度も挫折したから、やがて身に付いた、音楽の本質に接近できた、ということでしょうか。とつとつとして無機的、乾いた音列を拝聴していると妙な不安が迫ります。おそらくはグールドの表現が明晰なのでしょう。70分を超える収録も厭きさせません。ある時は壮絶な技巧(SCHO"HNBERG ピアノ組曲 作品25)、親密繊細なる集中力(WEBERN 変奏曲集 作品27)。
こんな音楽が"楽しい"とは!
●2011年5月某日の振り返りと後悔
一連の行事会議一段落して精神的に緊張感が途切れたのか、昨夜より体調悪化。当日欠勤はよほどじゃないとしない(いったん這ってでも出て行く)主義なので、とにかく通常出勤いたしましょう。お仕事段取り付けて昼から帰るか、明日の福井方面行事対応も微妙。
RAVEL 左手のためのピアノ協奏曲ニ長調/ピアノ協奏曲ト長調〜モニク・アース(p)/ポール・パレー/フランス国立放送管弦楽団・・・久々の拝聴。1966年録音というのは裏を取っていないみたいで(p)1966表示を鵜呑みにしたみたい。そこにも記述はあるが、音質かなり良好でしてピアノ、オケともRAVELに必須であるリズム感の冴え+緻密な集中力と粋がバランスして、極上であります。複雑、荒唐無稽、素敵な作品ですよね。「左手」はコントラバス+コントラファゴットに超低音による怪しげな開始〜華やかなピアノ・ソロが延々と続くが、最終場面でちょっぴり、おもちゃの楽隊みたいな響きが挟まるでしょ?あそこ大好き。そこを心待ちにしております。ト長調は「のだめカンタービレ」(ようやく先日テレビにて拝見)に登場していたが、いか にも彼女向け、自由奔放楽しげな作品と(以前から)考えておりました。
バロック時代から延々と続く名曲鍵盤協奏曲の行き着いた先、極致、みたいな感慨有。20世紀には魅惑の作品が多く出て、BEEやん、BRAHMSはどーも棚から取り出す気がなかなか起きない〜といったいつもの愚痴が出てしまいました。では、行ってきます。
仕事場に出るとそれなりシャキっとするものです。かなりお仕事進捗して、当面、本日迄に完了すべき宿題は終了し、若い者の印刷屋へ出すべき資料原稿を指導(説教)しておりました。四則計算(含む電脳)はかなりの力量なんだが、商品商売の本質というか、人様にアピールすべきポイント、言葉の選び方、そして出来上がりの美観に弱点がある・・・のは、経験不足なので当たり前。でも、センスというか、キラリと光るものってあるでしょうが。明らかに美的感覚の訓練が足らん。受験勉強ばかりしていたのか。服装も少々ダサいんです。若いのに。
明日の北陸方面の行事対応は、お相手担当に連絡して許していただきました。これでゆっくり週末休み。
通勤音楽は、GRIEG ピアノ協奏曲イ短調〜クラウディオ・アラウ(p)/アルチェオ・ガリエラ/フィルハーモニア管弦楽団(1957年)・・・再聴。モノラルだが音質かなり良好。遅めのテンポ、重厚で重心が低い。磐石の貫禄とはこのことか。細部まで太字の楷書。一切の曖昧さなし。指が流麗に回ることが=素晴らしい技巧ではない。
似たような時期、似たような作品、こちら仏EMI録音だが、TCHAIKOVSKY ピアノ協奏曲第1番 変ロ長調〜アルド・チッコリーニ(p)/コンスタンティン・シルヴェストリ/フランス国立放送交響楽団(1957年)・・・1951年クリュイタンスとの録音は知っていたが、こんなのもあったんですね。音質は期待(アラウ盤)ほどではない。リヒテルの剛直重厚なる演奏を聴き慣れていると、響きの明るさ、燃えるような情熱、オケの色気あるサウンドはなかなかの魅力であります。チッコリーニのピアノは柔らかく、神経質な感じではない、繊細なサウンドが魅力です。
●2011年5月某日の振り返りと後悔
ちょいと寝坊してしまい、別に少々遅れて出勤しても定時より前に職場に到着するんだが、気分的に落ち着かん〜ので、今朝の「音楽日誌」は休止。さて、お仕事整理の一日、無事クリアできるでしょうか。
朝は結局、いつもより10分遅れにて出勤。辣腕パートさんが一番乗りでした。やはりここ数日の疲れが残っていて、毎日の定例作業、昨日一昨日の報告書、の前に諸作業準備内部ミーティング(先にしておかないと、次の動きが皆できないので)、先行きのスケジュール調整、あっという間に夕方になってしまって、本日狙いの進捗80%か。明日の行事は無事ご遠慮に成功したので、一日余裕ができたんです。明後日、土曜をつぶして福井に迄出掛けます。一ヶ月先の予定が詰まってしまって、3連続出張〜ツラいなぁ、途中戻っての作業も。資料持ち込んでホテルでやるか?幸いか不幸か?震災以降、出先でメール対応可能になったし。今回の出張もずいぶんと助かりました。
早々に職場を辞去し、左膝+両肘のリハビリ、担当によっては背中、肩までちゃんと施術して下さるから助かります。まだ風邪治っていないのか。
!doctype>2012年3月28日水曜日
なぜ Gumroad や PayPal が日本から現れないのか
Gumroad 回りが面白くなってます。足りない機能を補う Gumroad Search が出てきたり、リンクを隠す GumSafe が出てきたり、さらに GumSafe がコンテンツ URL を自分の方に抱えることで事実上 Gumroad の決済機能だけを利用できるようにしたり↓、面白くてたまりません。
gumsafe 開発ブログ:gumroadの決済URLが割れてもコンテンツURLの隠匿性を維持できる機能を追加しました
というわけで関連する情報を目にすれば興味を持って読んでるうちに、
はっきり言ってこんなサービス、やろうと思えばどこの会社もすぐできたはずなんです(実際そのように言っていた方も見かけました)。それをなぜやらなかったか?(物語を語ろう。物語を創ろう。|Gumroad の問題点についてもう少し掘り下げてみました。)
という疑問を見かけました。
実は私も類似のサービスを数年前に思いついて、起業できるか考えたことがあるので、この疑問には答えられます。
答:やってみようとすればわかる。(苦笑)
いや、規制のせいです。ほんとそんだけ。
以下、起業家の視点で、この手のサービスがどう規制に阻まれてしまうかを書きます。正確なところは法律家に聞いて下さい。関連する法律はこんな感じ:
ちなみにプリカ法が資金決済法に変わりました(プリカ法は2009年に廃止)。あと外為法とかも関係してくるけど面倒すぎてやってられん。
ディジタルコンテンツ売買決済をサービスしようとすれば、およそ以下の3つの方法が考えられます。
(A) 買い手からあらかじめお金を預かっておいて、それを代金に充てる
(B) 買い手がポイントを購入しておいて、それを代金に充てる
(C) 売買に応じて対価を送金する(現金を運ぶのはナンセンスなので、現金は運ばない=為替取引になる)
PayPal は(A)と(C)をやってます。
ここで、日本でお金を扱う商売をするときの大原則を見ておきましょう。これ豆知識な。
- 商売で人からお金を預かっちゃいけない(出資法)→ (A) は禁止
- 為替取引は、銀行しかやっちゃいけない(銀行法)→ (C) は禁止
PayPal 使ってる人は知ってると思うけど、2009年まで日本で正式サービスしてませんでした。それまで―資金決済法ができるまで―違法だったからです。そして資金決済法ができても、(A) は資金移動業者に許されてません。だから PayPal で「入金」しようとすると、日本ではダメって言われるでしょ。
日本から PayPal が出なかったわけは、PayPal のサービスが違法だったから。簡単。
この時点で、何が「自由のもたらす恵沢」(憲法前文)だ*%#@!、とか私などは思うんですが、まあともかく (B) のポイント制は残ってる。